
少子化が解決しないのはなぜか? 現在、日本では6組に1組のカップルが不妊症といわれている。産みたいのに産めない―終わりのない治療に踏み出した人、治療を支える人の声を聞くことで、その突破口を見いだすことはできないか。
写真・文/石田温香(DAYS JAPAN)、協力/三軒茶屋ウィメンズクリニック
「産む」ことについていつから考えればいいのか?
不妊治療の取材を本格的に始めた頃、お盆休みで実家に帰った。そこで近所のおじさんや、めったに会わない親戚から私に向けられた言葉は「早く親に孫の顔を見せてやりなさい」というものだった。普段私がどんな生活を送っているか知らない人たちから向けられたこの言葉は、「産もう」と考えたことがなかった私にも、相当の打撃を与えた。もし私が、真剣に子どもがほしいと悩んでいたら? そう考えたら、急に息苦しくなった。
今回お話を聞いた人たちからは、「もっと早く不妊治療を始めていればよかった」という言葉を何度も聞いた。私たちはいつから「産む」ことについて考えればいいのか? 思い返せば、思春期に学校で受けた性教育は、避妊に関することばかりだった。そうして10代で知るべきことを知らずに来た私たちは、ようやく20代後半、30代になって現実にぶつかるのだ。「子どもがほしいのに、できない!」と。
どれだけ技術の進歩や制度の整備が進んでも、社会の認識が変わらない限り、人々が「産むこと」「産まないこと」、どちらの選択をしても、その人自身が社会から尊重される世の中は訪れないのではないか。
「なんで毎日のように早退しているの?」って思われているんだろうなっていうストレスが半端じゃなかったんです
不妊治療経験者Yさん(35歳)の話
とりあえず1年、その先は考えられなかった
私が結婚したのは2009年4月、27歳の時でした。当時の不妊の定義は、「妊娠を希望して性生活を送っていても、2年で妊娠しない場合」でした。今では1年に短縮されてますね(注1)。夫が9歳年上ということもあって、結婚当初から子どものことを意識していましたが、1年間は自然妊娠を試みました。しかし、子どもを授かることはありませんでした。
初めて不妊治療のために病院に行ったのは、結婚から2年半以上が過ぎた、12年の1月末でした。30歳になっていました。病院に通うまでに、すでにタイミング法を実践していて、それでも成功しなかったので、すぐに人工授精をすることになりました。夫から採取した精子から状態がいいものを取って、私の子宮内に注射器で注入する方法です。1回目の人工授精は、通院から1か月後のことでした。
はじめは、まず病院に1年通ってみようという感じでした。お金もかかると思ったし、仕事もしながらだったし、その先は考えられなかったです。通院は、少なくとも週1回のペースでした。
結局、15年5月に妊娠と判定されるまでの3年余りの間に、人工授精を7回、体外受精(媒精)のための採卵を7回、採卵した卵子と精子を受精させて胚盤胞となったものを子宮に戻す移植を5回経験しました。そして16年2月、ついに息子が生まれました。
終わりのない治療、毎回募る不安
私の場合、最終的に体外受精の媒精という方法で妊娠しましたが、治療は身体への負担より、精神面でキツいものとなりました。
女性の身体のサイクルでは通常、月に1回、排卵時に卵胞(卵巣にある、卵子が入っている袋)から子宮内に1つの卵子が送り出されるわけですが、体外受精では、より多くの卵胞を育てるために排卵誘発剤を飲みます。治療する周期には、私は月経が始まった日から排卵日までクロミッドという飲み薬を飲んでいました。経口薬だけで卵胞が育たない人は、月経時から採卵までの間に、毎日自分でお尻に排卵誘発の注射を打つ人もいます。自分で打つのが恐い人は、毎日病院に通わなければいけません。私も1回試しましたが、夫に打ってもらっていました。その方法だと、たしかに複数の卵胞は育ちました。でも培養士さんに診てもらっても、その中に良い卵子が全然入っていなくて、意味がありませんでした……。
日本では、けっこう強い薬をたくさん飲んで、1回に20個くらいの卵胞を出すこともあるそうです。排卵する前に採卵するのですが、20個の卵胞を採るとなると、全身麻酔をしないとダメだそうです。そういう治療をする人は、身体がボロボロになってしまうと……。いっぱい卵子が採れたら、それだけ妊娠の確率は上がるので、利点はあるのかもしれません。でも私は薬漬けの治療はとてもできないと思っていたし、通っていた病院もあまり強い薬は使わない方針だったので、適度に薬を飲みながら治療を続けました。飲み薬くらいでは身体は辛くならず、我慢できました。
ただ採卵する時は、膣から針を入れて、それを卵巣に刺して卵胞液を吸い取ります。麻酔はしません。それはとても痛かったです。先生はだいたい毎回、2、3個採れるといいですねぇという感じでした。だから、排卵日までに、ちゃんとした卵胞が何個育っているかどうか、毎月すごくドキドキするわけです。全然育たなかったりする月もあるし、今回は多めに育っているなぁと、ひとまず安心することもあります。
しかし、採卵した卵胞の中に、卵子がちゃんと入っているかどうかが問題なのです。せっかく採卵しても、卵胞だけで卵子が入っていないこともあります。そうすると、卵胞は5つ育ったけど、そのうち4つしか採卵できなかった、さらにその中に卵子が入っていたのは1個だけでしたとなると、どんどん可能性が減っていき焦るわけです。
これを、「1個採れたからよかったな」って受け取れるか、「4個も卵胞を採って、1個しか卵子が採れなかった」って受け取ってしまうかで、気持ちの持ちようが全然違いますよね。採卵できる周期は、ほぼ月に1回だけです。1回の採卵で、いっぱい採れた方がいいに違いありませんから。
それに、その1個しか採れなかった卵胞の中に、幸い卵子が入っていて、いざ体外で精子と組み合わせてうまく受精したとしても、2、3日後に胚が育って、その後きちんと体内に移植できるような胚盤胞になるかならないか、毎日チェックしている培養士さんに判断されるわけです。それを病院に電話して聞くのですが、それもドキドキなんです。その段階で移植しても育たないと判断されたら、受精卵は破棄しますとなるわけです。
私の受精卵の質は、いちばん良くても、BBの判定(注2)でした。結局それが赤ちゃんになったわけですが、何をすれば良質の受精卵になるかは、医学的にもまだはっきり解明されていないそうです。なので、できる努力は全てしてみようと、血の巡りが良くなるように東洋医学の針治療やお灸をやってみたりもしました。

同僚に黙っての治療、仕事を辞める決断
当時、フルタイムで秘書として勤めていた会社の上司には、けっこう早い段階で不妊治療をしていることを相談していました。言わないとやっていけないと思ったので、直属の部長に、始めて3か月くらい経ってから言ったと思います。私の場合、夫が同じ会社の同じ部署で働いていたので、きっと他の人たちにも言っておけば業務的には楽だったのでしょうが、子どもができなかった時のことを考えたら、やっぱり言い出せませんでした……。できたときには「実はやっていました」と言えるでしょうけど、できなかった時に、周囲の眼が辛いなぁと。
周りに黙っていたとはいえ、通院のために毎回会社を早退しなければなりませんでした。病院には、遅くとも午後6時半までに入らなければいけなかったのですが、会社の定時は6時でした。会社から病院までの距離を考えると、ギリギリ間に合わないので、定時の15分前くらいに、「私用により早退します」というメールを、会社の同じ部署にいる全員に送り、会社を出ていました。
しかし、そうやって早退してまで病院に行っても、必ず1時間から2時間くらい待たされるんですね、予約をしているのに。さらに、排卵日付近に自分の卵胞の大きさを超音波で診てもらっても、「まだ育ってないな、ごめん、ちょっと明日来て」と言われることが普通にあるんです。その1日でなにか違うのって思いますが、違うんですね。卵胞の状態は、実際に診ないと分からず、先生も予想ができないそうです。だから通院のために、連日早退ということもけっこうありました。そのため同僚からは、「なんでそんな毎日のように早退してるの?」って思われているんだろうなっていうストレスが半端じゃなかったです。
上司ははじめから最後まで協力的でした。ただ、具体的な治療法までは話さなかったし、2、3年経っても何も進展がなかったので、どんな状況なのか心配だったと思います。
結局、仕事をしながら丸3年、不妊治療を続けましたが、14年末で退職することにしました。最近、企業の不妊治療への休暇が導入される(注3)等のニュースを聞きましたが、「不妊治療をしています」と、どれだけの人が公に言って休暇を取れるかは、また別の話ですよね。それでうまく子どもができればいいと思いますが、うまくいかなかった場合は、すごく会社に戻りにくいと思います。「あぁできなかったのに」と、みんなに思われるだろうと考えると、やっぱり休暇を取りづらいでしょうね。日本では、まだまだ社会的理解が足りないと思います。
年100万円超える治療費、「絶対できる」と言い聞かせて
実は、会社を辞める前に採卵も終らせて、移植のために胚盤胞を凍結させていたのですが、14年12月から半年間、不妊治療をお休みしました。いったんお休みして、身体と心をリセットさせてから移植したいと思ったんです。
その頃は、子どもがいない生活を覚悟しないといけないのかな、と頭によぎることもありました。でもその一方で、「絶対できる、大丈夫」と自分に言い聞かせていたりもしました。両親に孫を抱かせてあげたいと思っていました。
治療費に関しては、とりあえず1年間で100万円までは使ってもいいとなんとなく設定していました。でも、通院だけで1回5000円で、排卵誘発の注射が1回6000円でとか、だんだん感覚が麻痺してくるんです。だから1、2年目はあっという間に年間100万円の予算を超えていたと思います。だけど3年目に入っても、どうしてもやめる気になれなくて……。先生は不妊治療をしている人の中では、まだ私は若いほうだからと言っていたし、夫も「どうにかなるからとりあえず今はそれでいいよ」って言ってくれたので、なんとか続けられました。
人工授精は1回約2万円だったと思います。体外受精になってくると、治療に関係する注射や薬、採卵、移植等の経費を合わせると、30万から35万円くらいが1セットになります。だから、3回くらいやると、すぐに100万円を超えちゃうわけです。結局いくらかかったんだろう(笑)。不妊治療の助成金も、あるにはありますが、私の住む自治体では、夫婦合算の所得が730万円以内でないと適用されません。私たち夫婦は共働きだったので、所得が基準を超えてしまって、助成の対象にはなりませんでした。とはいえ保険の利かない治療で高額ですから、自分のお給料は、ほぼ治療に費やしている状態でした。
結局、半年のお休み期間を経て、それからまた病院に通い始めました。それで15年5月に、凍結していた胚盤胞を移植したら、ようやく妊娠したのです。それまで何度も結果がダメだったから、期待はしないようにしていました。でも、毎回結果を聞く度に、ドキドキが止まらなくて、緊張で手先が冷たくなりました。診察室に呼ばれ、「妊娠の可能性が十分な数値です」と言われた時は、人ごとのような気分で、とにかく呆然としていました。あまりに私が無表情だったみたいで、看護師さんに「喜んで良いんですよ」って言われて、その瞬間、急に涙が出てきました。ただその時は、安定期までは何が起こるか分からない不安の方が大きかったです。喜び過ぎは禁物だって。でも、その日の夜に、初めて妊娠検査薬を使って陽性反応が出た時の喜びといったらなかったです!
10か月くらい凍結していた胚盤胞をお腹の中にいれて、この子が出てきたと思ったら、想像を越えますね。実はもう1個、胚盤胞を凍結保存しているのですが、それをどうするのか、ものすごく考えています。1人目の子どもは、移植を5回もやってようやくできました。だから、次の胚盤胞を(胎内に)お迎えしたとしても、成功するとは限らないわけです。でもこうして息子が生まれてしまうと、今凍結しているその胚盤胞って、もう命なんじゃないの? と思ってしまうわけです。そうなると、それを命と取るのかどうか複雑なところです。でも、自分がもう1回トライした時に、もしそれでダメだったら、またあの時の辛い思いをしなきゃいけないかと思うと……。私、一時かなり鬱が入っていたんじゃないかと思います。毎日不妊治療のことばかり考えていて。ああいう気持ちを今となっては全部忘れてしまいましたが、やり始めたらまた憂鬱な気持ちが復活するんだろうなと思うと、それって、幸せなことじゃないかもって……。

(注1)日本産婦人科学会は2015年6月20日、これまで「2年」を一般的としてきた妊娠が成立しない期間を、「1年」とする方針を発表した。理由のひとつには、不妊症が増えているとするデータがあることも挙げられる。欧米諸国では、1年と設定している国も多いので、国際的な尺度に合わせるという一面もある。
(注2)受精卵は、胚盤胞まで培養すると、「内細胞塊(ICM)」と呼ばれる赤ちゃんになる部分と「栄養外胚葉(TE)」と呼ばれる胚盤になる部分に分かれていく。これら2つにそれぞれA,B,Cと3段階ずつのグレードを付け、全9段階で受精卵の成長具合を判断する。AAがいちばん良いグレードで、妊娠率が高い。逆にCCになると、妊娠の確率が低下する。一般的に、BC以上を移植、または凍結の対象にしている病院が多い。
(注3)2016年8月6日付朝日新聞(電子版)では、トヨタ自動車が、不妊治療のための休暇制度を、17年1月をめどに導入する方針を固めたと報じられた。期間は年5日ほど。不妊治療の休暇制度は、リコー、パナソニック等の電機大手、高島屋、キリンビール、日産自動車等でも導入している。

不妊治療の検査を受けるのが、男女とも当たり前になるのがいいと思うんです
培養士・鮫島まち子さん(三軒茶屋ウィメンズクリニック)の話
体外受精、本当に私たちの子なの?
Yさんの話を聞いてから数日後、私は東京都世田谷区にある不妊治療を専門とする「三軒茶屋ウィメンズクリニック」で、培養士をしている鮫島まち子さんのもとを訪れた。
培養士とは、夫から採取してもらった精子を人工授精や体外受精用に調整したり、採取した精子と卵子を受精させ数日間培養したり、胚になった受精卵を凍結する仕事だ。いわゆる人工授精以上の治療である「生殖補助医療(ART)」と呼ばれる部分を担っている。鮫島さんが勤務するクリニックでは、年間900件の人工授精、約400件の体外受精をおこなっている。
私はさっそく、Yさんから預かってきた疑問をぶつけた。「病院に預けた精子と卵子を取り違えることはないのか」と。採卵後、患者が自分の精子と卵子が受精させられる場面を見ることはない。Yさんは不安に思っていた。
「絶対ないです。一件につき、患者さんひとりずつの精子と卵子しか処理しません。一件が終らない限り、他のものを始めません。口頭で患者さんの指名とカルテ番号を、もうひとりのスタッフと必ずダブルチェックしています」
卵巣年齢、早めのチェックを!

ところで、不妊治療はいつ始めるのが適切なのだろうか。鮫島さんのクリニックに来院する人の平均年齢は、39・6歳。この数字は、年々上昇傾向にあるという。とくに東京都内のクリニックということもあり、結婚する人たちの年齢が高く、不妊治療をスタートするのも遅くなっているそうだ。
「AMH(抗ミューラー管ホルモン)ってご存知ですか? 卵巣の原子卵胞から発育する前胞状卵胞数(注4)を反映すると考えられているホルモンです。その値が低いと、卵巣予備能が低いということになり、病院では採血をして出てくるその値で、治療方針を決めていきます。その数値が低いと、早めに、積極的に治療をした方が子どもを授かりやすいとか、逆に数値が高いと、まぁ焦らずにゆっくり進めていきましょうと判断しています。
結婚の有無に関わらず検査はできるから、この数値を知っておくことは、すごく大事だと思います。焦らせているわけではありませんが、年齢によって、顕著に妊娠率って下がるので。卵子の数が少なくなるだけでなく、たとえ排卵誘発の注射を打っても、反応が弱くなってくるんですね、年を取ってしまうと。また、質のいい卵子が採れないので、妊娠が難しくなるのです」
鮫島さんのクリニックで治療し、妊娠した人の最高年齢は47歳だという。しかし、このような例はごくわずかとのこと。同クリニックの顕微授精率は80パーセントだが、かなり高い成功率の中でも、年齢が高くなってからの妊娠がいかに難しいかが分かる。
精神面のケアはケースバイケース

Yさんの話にもあったように、不妊治療は精神面の不安を抱える人が多い。
「不妊治療って、ゴールが見えない治療なんですね。3回採卵したから、絶対妊娠しますよとは言えません。治療する周期や使用する薬によっても、採れる卵子の質が違ってくるので、何回で妊娠しますよと断言できません。
当院では、患者さんから直接、経済的、精神的辛さについて聞くことも多いです。そういったケアには、統一した対応は取れません。患者さんによってさまざまなケースがあるので、それによって対応の仕方を考えます。まず何で悩んでいるのか、たとえば、仕事が忙しくて時間がなく、仕事と両立できないのか、経済的な理由なのか、それとも周りの理解が得られなくて治療を続けていくのが困難なのか。夫婦間でも意見が違うこともあります」と鮫島さん。
不妊の原因は男女半々、まずは現状を知ること

夫婦間の意見の相違――不妊治療について語られる場合、とかく女性からの目線が多いが、不妊の原因はほぼ男女半々だと鮫島さんは続ける。
「たしかに不妊治療は女性の治療がメインで、時間もかかります。男性には検査も受けたがらない方もいます。けれど、検査をしないと治療方針が決まりません。男性側は、他人事と思っていることが多いです。まさか自分ができないとは思っていないから。そのため検査をしてみて、精子の状態が悪いと診察で言われると、けっこうショックを受けています。たしかに、男性は飛び込みにくい世界だと思います。でも、女性のAMHの採血同様、早めに現状を知ることが大事だと思います」
そして今後の課題として、以下の点を話してくれた。

「ここ5年くらいで不妊治療の認知度はだいぶ上がったと感じています。でも、まだまだですね。日本って、不妊治療のクリニックが600軒くらいで実はすごく多い国なんです。その分、治療周期(回数)も多いのですが、それでも世間の認知度や倫理面での議論という面ではまだ整っていません。
国は16年度から、不妊治療の助成給付金に年齢制限を設け、42歳までとしましたので、早めの検査や治療が良いと思います」
(注4)月経1〜3日目に経膣超音波で見える左右の卵巣内にある小さな卵胞の数の合計。
三軒茶屋ウィメンズクリニック・公式サイト
www.sangenjaya-wcl.com
世界では子どもの将来に倫理的課題
文・宮下洋一(在仏ジャーナリスト、DAYS特派員)
不妊治療は誰のためにあるのか?
「産みたくても産めない」という社会現象は、今日、日本だけでなく、多くの先進国に蔓延している。6組に1組の夫婦やカップルが、性行為を続けても自然妊娠できず、時には、離婚にまで発展する事態さえ起きている。こうした時代の中、ここ数年、生殖補助医療を始めとする不妊治療が世界各国で需要を高めているのである。
先進国でおこなわれた体外受精による2014年の出生数を見ると、日本が4万7322人(日本産科婦人科学会)。アメリカは6万5175人(米疾病対策予防センター)、フランスは2万5208人(仏生物医学庁)、スペインは2万5000人(スペイン生殖医学会)となっている。
この出生数は、各国で毎年伸びているが、体外受精の周期(治療)数も、それに比例して急増している。同年、日本では過去最高の40万周期弱で、アメリカでは約21万周期、スペインでは約12万周期という数字が表れ、不妊治療に赴く人々の増加が激しい。
「産みたくても産めない」という女性の嘆きは、これら先進国共通の悩みだが、この言葉には、ふたつの重要な意味合いが隠されている。
ひとつは、卵子が体内にもともとないか、卵巣の病気を抱えているために産めないという生理的な問題。子宮頸がんや子宮体がんを患った女性は、その可能性を持つが、これはごくわずかな割合に当たる。
もうひとつは、多くの女性がキャリアを優先し、出産時期が遅れるというワークライフバランスの問題が焦点となっている。この生理的ではない問題こそが、今まさに先進国で不妊治療ブームを巻き起こすきっかけとなっている。日本では、30代後半の高学歴女性や、40代半ばから後半に当たる就職氷河期時代の女性が、主な対象となる。
キャリア追求によって仕事人生を送ってきた女性たちが出産願望を抱く時には、自らの卵子で妊娠できない現実に直面することが多く、アメリカ、タイ、スペインなど、海外に行って健康な若い卵子を求めることが多々ある。
とくにタイの場合、不妊治療全般の料金が安いことや、アジア人の精子や卵子を見つけやすいことから、日本人患者の数は多い。さらに、「着床前診断」という技術を売りにし、遺伝子を操作し、障がい児をなくすような動きも見られる。
アメリカの不妊治療は、比較的高額で、妊娠率も高いと言われるが、時には、子を授かる意義や、その本質を超えた行為を実施する施設もある。
「デザイナーベイビー」と呼ばれるものがその典型で、「生まれてくる子どもをデザインする」のである。患者は、提供者の目、髪、肌の色、身長、高学歴、宗教などを参考にオンラインで注文し、第三者の卵子や精子を購入できる巨大産業に救いを求めることもある。
不妊治療をビジネスと割り切る施設もある中、先端技術によって恩恵を受けた人々も当然のことながら多い。あるニューヨーク在住で日本人の妻をもつアメリカ人男性は、後に患う精巣がんで無精子症になる前に、自らの精子を凍結保存し、12年後にそれを解凍し、健康な女児を授かっていた。
日本でも少しずつ増えてきたようだが、不妊治療は夫婦揃っておこなうという常識が、欧米社会には浸透している。右の男性のように、不妊の原因が男性にもある確率が女性のそれと同じくらい高く、不妊問題を女性の責任とする風潮は、今後、変えていく必要があるだろう。
「不妊治療ツーリズム」として知られるスペインも、アメリカのようにビジネス的な側面があることを否定できない。地下鉄内では、「卵子提供」の宣伝ポスターが掲げられていたり、町中では、「卵子凍結」のビラを配る女性がいたりと、一般市民へのアピールに力を入れている。
ただこの国では、卵子提供が合法で、ヨーロッパの中でも、「若い卵子」が溢れている。つまり、自らの卵子で妊娠できない女性は、体外受精をおこなう上で、この第三者による卵子の質こそが鍵を握ることになる。
ヨーロッパでは、イギリス、フランス、イタリアなど卵子提供を禁じている国が大半のため、それらの国々から、40代女性がスペインに押し寄せる。イタリアの有名産婦人科医が、スペインでの治療費を含め、合計2万ユーロ(約226万円)でバスツアーを催行しているという話さえ耳にする。
ただ、あまりにもビジネスという用語を強調すると、誤解が生じる。若い卵子があることで、日本人女性が同国のバルセロナで体外受精をおこない、子を授かった例も実際にある。もちろん、その子どもは、母親の遺伝子を持つ卵子で産まれたのではない。多人種・多民族が当たり前の欧米では、子どもが養子であったり、両親のDNAでなかったりしても、社会的な受け入れは日本よりも寛大である。
第三者の精子や卵子によって生まれた子どもの「出自を知る権利」が、特定の不妊治療では不可欠な議論になるが、多くの患者たちは、この将来的な課題に目を向けていないことが多い。
不妊治療は、こうした倫理的な要因も強く、日本ではあえて提供卵子・精子による不妊治療に踏み切らない理由もここにある。治療施設数は世界最多と言われる中、出生率が世界的に低いと批判されるのは、こうした背景があることを忘れてはならない。
不妊治療とは、人工授精、体外受精、代理母出産といったあらゆる手段をもって子どもを産む技術ではある。夫婦は、とにかく子どもを産むことを第一と考えるが、果たして、生まれてくる子どもにとって、それが倫理的に正しい行為なのかは、また別問題だ。
スウェーデンでは、不妊治療が「誰のためにあるのか」という根本的な問題を追求する。治療を望む夫婦は、男性が54歳、女性が39歳まででなくてはならず、生まれてくる子どもの将来的なサポートを視野に入れている。この倫理は、多くの先進国が見逃している不妊治療の中枢であると言えよう。
一度始めたら、止めるのが難しい。各国の女性たちは、声を揃えて言う。「出口のないトンネルのよう……」と。
子どもを産むことが、必ずしも幸福の証とは限らない。しかし、子どもを産みたい人が産むための選択肢がある中で、さまざまな制約により、産むことができないのは不幸である。
子を授かることの意義を慎重に議論した上で不妊治療に臨むことが、将来の親と子の絆になることは間違いない。しかし、子どもを持たないと決めることも、人によっては、ひとつの生き方である。
みやした・よういち 1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールでジャーナリズム修士。6言語を話し、スペインの全国紙「エル・ペリオディコ」で記者経験後、フリージャーナリストとして世界各地を取材。世界6か国の不妊治療の現場を取材した著書『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』は、第21回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞。