
人々の夢や希望を奪った原発事故から30年。耐久年数ぎりぎりの石棺に覆われた4号炉をさらに覆うドームの建設が急ピッチで進むが、今後の課題は残されたままだ。
写真・文/広河隆一
Photo & Text by Ryuichi HIROKAWA

30年たっても続く「チェルノブイリ人」という重圧
2016年1月、30年目のチェルノブイリ原発を取材した。この場所に最初に来たのは27年前の1989年3月。チェルノブイリ原発を撮影するとともに、それまで極秘にされていた汚染地の村々に入った。
その時は検問所の数キロ手前で合流した内務省のパトロールカーの点滅するライトに先導されて、30キロ圏に入ったのを覚えている。それから何十回とこの検問所を越えたが、手続きはどんどん楽になっていった。かつては10キロ圏の検問所を越える時には、すべての衣服と靴を支給されて下着以外の服は着替えなければならなかったが、今ではこうした手続きは、爆発した4号炉に入るときだけ求められる。
チェルノブイリが私たちの何を変えたか、考えてみる。
「チェルノブイリ人」という言葉を初めて知ったのは、ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチによる被災者のインタビュー集『チェルノブイリの祈り』を読んだ時だった。それまで私はチェルノブイリ地区の避難民というくらいの意味で使われていると思い込んでいた。しかし実はもっと重い意味が込められていたのだ。ときにはすさまじい差別の響きも含んで。そしてそれは過去に起きたことなのに、現在も進行中のことだった。決してトラウマという形で過去に追いやることはできない。しかし、誰が30年も経った後でさえ、この言葉が毒をはらみ続けることを想像できただろうか。

人間の未来を打ち砕いたゼロ地点のいま
10キロ圏の検問所を過ぎ、プリピャチ市に入るまでの間の村々は地下に「埋葬」されている。そこは別世界だ。ここは目的を持って、許可証を持った人間しか立ち入らない。
しばらく進むと、事故を起こした4号炉がふいに姿を現す。これが、人間の未来感や、幸福の概念を根底から打ち砕いたゼロ地点なのだ。
今回は4号炉やドーム建設現場への特別許可証をもらい、コントロールルームに入った。
埃に覆われたように見える灰色の操作盤は、AZ5という名のつまみのあたりがくり抜かれていた。これが緊急停止ボタンで、これを押した後、一挙に原子炉が暴走したといわれている。チェルノブイリ型原発の構造的欠陥は、緊急停止ボタンを押すと一時的に出力が上がる、という説明を受けたのは、事故の責任を問われ長く獄中にいた所長からだった。裁判で罪を問われた原発運転員や責任者たちは、意外と早く出所したのだが、その背景には、事故は運転員の操作ミスやマニュアル違反ではなく、原発の構造的欠陥によるものだったという説が力を持ったからだ。

コントロールルームの操作盤の裏に回ると、あちこちで配線がむき出しになっている。この壁の後ろに巨大な空間があり、そこに斜めに傾いた2 00
0トンのコンクリートの天蓋があるはずだ。運転員たちはこれが事故の時にガタガタと跳ね上がっていたと証言している。
以前の取材で、私は廃墟となった炉心をのぞく窓から中を見たことがあった。そこは、ただ薄暗いだけの得体のしれない世界だった。シャッターを押したがほとんど何も映っていなかった。今回、もう一度そこに行きたいと言ったが、認められなかった。

初めて外から4号炉を撮影した時のことは、良く覚えている。現在は撮影を禁止されているタービン建屋の方から原発を撮影した。その時私はものすごい圧倒的な量の放射線で体を刺しぬかれるような感じがした。
何度か原発を取材するうちに、私の案内係はリマという緊急事態省の女性になった。彼女は私の希望を聞いてくれるように努力してくれた。ふつうの取材では行けない場所にも許可を取ってくれるようになったのだ。しかし彼女は2006年の取材の直前に脳溢血で倒れて、そのまま亡くなった。49歳だった。

4号炉の隣で建設されている巨大なドーム(シェルター)は、工事が大詰めに来ている。2年前に来た時は、作業員たちが巨大なアーチ型屋根の上に放射能防御シートを張っていた。4号炉の石棺の耐用年数は30年といわれているから、事故30年の今がぎりぎりのところだ。そして新しいドームの耐用年数は100年といわれている。高さ約110メートル、幅257メートル、重さ2万9000トンという。今回はそのドームの中に入って、内側から撮影することができた。
工事が本格的に始まったのが09年で、16年中にドームの工事は完了し、年末にはレールを移動して、3日かけて300メートル脇の石棺に移動。17年には内部の機械がすべて調節、起動され、完成の予定という。内部は気密性が保たれ湿度も限りなくゼロに近づくという。問題はその先だ。その後の原子炉の残骸が解体されるには、おそらく気の遠くなる時間が必要とされるだろう。「象の足」と呼ばれる核燃料が解けたものを、どのように運び出すのか、どこに安全に保管処理するのか、いまだに決まっていない。
