
原発事故後の廃墟に住み続け、紛争地帯を渡っていくコウノトリ。そのベールに包まれた渡りに、私たち人間が託す想いとは?
写真・文/広河隆一(本誌発行人)

渡りの謎
大学生の時、ラジオ放送で、「飛翔」という番組が流れた。それは嵐や、猛禽類の襲撃の中、なぜ困難な渡りをするのか、鳥が自らに問いかけながら飛ぶという、詩のような番組だった。
卒業後にイスラエルに行き、農場で休んでいたとき、コウノトリの群れが円を描きながら、上昇気流に乗って舞い上がっていくところを目撃した。それは感動の出会いだった。
実際に渡り鳥を取材したのは、チェルノブイリの廃墟に巣を作るコウノトリを撮影してからだ。これらは白コウノトリで、ヨーロッパの鳥はシュバシコウノトリといい、くちばしと脚が赤い。日本のコウノトリは足もくちばしも灰色だ。日本では多くの地名に「鴻」という字が付けられているが、それはかつて列島の多くの場所がコウノトリの営巣地だった証である。

何かの本でコウノトリの渡りの経路図を見た。ヨーロッパの西半分に住むコウノトリは西南をめざし、ジブラルタル海峡を渡ってアフリカに入る。そして東半分はボスポラス海峡とスエズ運河を越えてアフリカ大陸に入る。ある鳥類学者が東ヨーロッパのコウノトリの卵を、西ヨーロッパの巣に入れたら、その鳥が巣立ちをしたとき、他のコウノトリがみんな西南の方向に飛び立ったのに、この鳥だけは一羽で東南に向かったという。渡りの能力は秘密に満ちている。いつかコウノトリの番組を作りたいと思うようになった。
その夢は、テレビ朝日の「宇宙船地球号」という番組で実現した。チェルノブイリの汚染地からイスラエル・パレスチナを経てアフリカを往復するコウノトリの番組を作ることになったのだ。汚染された村で、母親ががんで亡くなり、父親はアルコール中毒になり、子ども3人だけで暮らす家があった。長女の名はナージャ(希望)。この家の屋根に巣を作っていた3羽に発信器を付け、フランスの衛星で追跡した。

8月の半ば、コウノトリはバラバラになって南を目指した。私はイスラエルで鳥たちを待った。一羽目と二羽目は、隣国ヨルダンを南下したため、見つけられなかった。かろうじて3羽目は私が待ち構えていたイスラエルの東部の湿地帯に降りて、奇跡のような偶然でその姿を撮影することができた。この鳥は、発見から1時間後には上昇気流に乗って、南に飛び発った。
コウノトリは、ヨーロッパでも幸せをもたらすといわれている。チェルノブイリの子どもにとっての幸せは「健康」、パレスチナとイスラエルの子どもにとっての幸せは「平和」。私はこのコウノトリの追跡プロジェクトを「幸せを運べ、コウノトリ」作戦と名付けた。グライダーに乗ってコウノトリと上昇気流に乗った日々を忘れられない。
