退屈そうな、眠そうな、悲しそうな、まぶしそうな、はたまた気持ち良さそうな5年前のはな子。陽光の下、優しげな表情で目を閉じる。2011年1月28日 Photo by takashi kitajima
退屈そうな、眠そうな、悲しそうな、まぶしそうな、はたまた気持ち良さそうな5年前のはな子。陽光の下、優しげな表情で目を閉じる。2011年1月28日 Photo by takashi kitajima

1949年、戦後間もない日本に、「子どもたちへの贈り物」としてタイから2歳のメス象が贈られた。暑い国からやって来た大きな体の愛らしいその象は「はな子」と名付けられ、友好のシンボルとして大層人気者になった。それから67年、はな子はゆっくりと歳を重ねながら、いつもひとり、柵の向こう側に訪れる人々を見続けていた。そして5月26日、長かったその生涯を静かに閉じた。69歳だった。

はな子という象

丸井春・本誌編集長

はな子死亡のニュースは、瞬く間に広まった。あまりに有名な象の死に、はな子がいた象舎の前には、全国から大勢の人が次々と集まっては献花を施し、彼女を思った。

戦中、日本では、動物園の動物が次々と殺処分された(戦時猛獣処分)。逃亡して人々に被害を及ぼすのを防ぐためという目的だった。1949年8月、戦後の混乱の中にある日本に、遠くタイからやって来たのが当時2歳のアジアゾウだった。彼女の存在が、日本中を一時明るく湧かせたのは間違いない。彼女は、戦時に猛獣処分で餓死させられた上野動物園の象「花子」にちなんで、「はな子」と名付けられた。

最初の「家」は上野動物園だった。連日大勢の子どもたちがはな子に会いに集まって来た。はな子はそこで初めての経験をたくさんした。初めて雪を見たし、寒さに震えて外に出たがらなかった日もあれば、やんちゃ盛りの時には運動場の前の堀に落ちて飼育員らに救出されたこともある。移動動物園として日本各地の動物園も訪れた。54年に上野動物園から井の頭自然文化園に引っ越す際には、大勢の見送りを受けた。

井の頭自然文化園に移ってからは、それからの64年間をひとり、毎日、象舎の前にしつらえられた運動場から「外側」の人々を観察し、「外側」の人々のかける声を聞き、そうして歳を重ねていった。ひとりでの生活にストレスをため、深夜に象舎に入ってきた酔った人間を踏んで死亡させてしまったこともある。人々から非難され、数か月の間、狭い象舎の中で足を鎖でつながれ続けた。完全に心を閉ざし、心を病み、痩せ細り、歯が抜け、それでも、心優い飼育員との出会いで、また徐々に心を開いていった。晩年は、運動場に出ても、じっと壁を見続けることも多かった。その姿は人々に「孤独」を連想させたし、本当の彼女の気持ちは聞けないが、彼女の目や彼女の振る舞いは、実際に「寂しそう」にも見えた。彼女と彼女に会いに来る人々が肌で触れ合うことは決してなかったが、それでもはな子は「いつも」そこにいた。だからこそ、死のニュースは悲しく、多くの人が大きな喪失感にさいなまれた。

とはいえ、はな子から勇気や笑顔をもらった人が、象という動物を大好きになった人が日本中に大勢いる。それは紛れもなく彼女が私たちに残した宝であり、彼女が立派に果たした使命であり、彼女が生きた証だ。はな子が幸せだったのか。それははな子にしか知り得ないが、人々の心に、暖かなものを残してくれたことに感謝したい。

なのだけれど。だからこそ、私たちは、彼女にとって動物園という決して広くない人工的な空間が、一生のすべてだったことを忘れてはいけないと思う。そして、はな子の飼育をめぐっては、海外メディアなどで度々問題提起がなされてきた。とくに、2010年10月以降に飼育方法が「間接飼育」(はな子と飼育員が直接ふれ合うのではなく、餌やりなどを柵越しにおこなう飼育法)になってからは、タイの人々から、「はな子をより適切な環境においてほしい」などという20万筆以上の懇願書が集められたこともある。

動物園での動物の扱いについて、アメリカの著名な動物行動学者であるマーク・ベコフさんは、著書『The Emotional Lives of Animals』の中で次のように述べている。「人々は動物園の魅力的な動物を見て感嘆の声をあげる。動物園は、動物とその保護に関する教育のため、動物種の保存のためという目標を掲げる。しかしそのことは、動物たちを捕獲し、自然環境と家族から引き離し、一生を檻や狭いスペースにとじ込め、毎日見せものにする十分な理由になるのだろうか」と。動物園は、少なくとも敵に襲われない環境があり、餌がある。だからこそ私たちは目を逸らしがちだが、彼の指摘について考えるのは重要ではないだろうか。彼はさらに、「動物園は完璧ではない」と続ける。なぜか。「動物園は単純に動物の身体的なニーズを満たすだけで済ませるわけにはいかない。動物の社会的、感情的なニーズも満たさねばならず、さもないと、動物たちに、人間と同じようにネガティブな影響が現れ始めるからだ」と。

歴代の飼育員らのはな子へ愛や献身的な世話は彼女の人生を彩ったし、彼女はそれら適切なケアによって一生を全うした。飼育員らの悲しみは計り知れない。しかし、今回本誌では、はな子の死をきっかけに、動物園での動物の扱い、動物たちの心への影響について考えたいと思う。動物の権利に詳しい、NPO法人アニマルライツセンター代表、岡田千尋さんに寄稿いただいたので、以下紹介する。

自然界の象と動物園の象

文・岡田千尋・アニマルライツセンター代表

はな子は2歳の時、全く気候も環境も異なる日本に連れて来られ、各地を回った。運が悪かったことは井の頭自然文化園の小さな檻の中がその移動の最終地点であったことだ。その後の62年間、はな子の人生に変化はほぼなくなった。もてはやされたり、「殺人象」と呼ばれて虐げられたり、元飼育員とのふれ合いが映画化されたり、飼育環境改善のための署名が立ち上がったりと周りには変化があったが、はな子自身の処遇は変わらなかった。

「人と象は違う、仕方ない」と納得してしまう前に、本来の象はどんな動物で、どんな環境で生きているべき動物なのか、知ってほしい。

象はとても社会的な動物で、特にメスの象は仲間や家族との結びつきが強い。群れの仲間と協力して子育てをし、病気の象に寄り添い、死にかけた仲間の口にエサを運ぼうとする姿や、死んだ仲間の側を離れようとしない姿も観察されている。1日16時間〜20時間を探索と採食に費やし、とくに夕方や明け方に活発に活動し、夜の間も移動する。それ以外の時間は、仲間とコミュニケーションをとり、水浴びを楽しみ、泥や砂浴びをし、眠る。アジアゾウの生息環境は低牧草地から熱帯林まで広く、高い山にも登る。長距離を泳ぐことも得意だ。行動範囲がとても広いため、象の発する低周波は1・6キロ以上先にまで届くという。これらの活発な行動や能力は、彼らの本能であり欲求だ。その本能と欲求を適えられる自然界の象の一日は、変化に富んでいる。

また、その一生も自由で飽きることがない。産まれてから約4年、親とともに過ごし、10〜15歳まで群れの仲間に守られながら成長する。やがて伴侶を探し、家族を持つ。約22か月という長い妊娠期間、長い子育て期間、愛情が深くなるのも当然だろう。家族を守り、仲間を守り、危険を回避する。孫が生まれ、そして死んでいく。

さらに象は、生態系を守るためにも要の動物だと言われている。長距離を移動しながら糞とともに種子をばらまく。これが広い地域の生物多様性を守ってきた。

「退屈」という病

はな子はこの象らしい生活を全て奪われ、檻の中で立ち尽くし続けた。この、やることが無い「退屈」という状況は、象たちを精神的に追い詰め、苦しめる。攻撃的になったり、うつ状態になったり、鼻や足を振り続けるなどの異常行動を起こす。はな子も追い詰められ、異常行動を顕著に見せていた犠牲者だ。

想像してみてほしい。ある日、理由もわからず家族から引き離され、知らない場所に長距離移動させられ、檻に入れられ、自由ではないことを悟る。餌と水はあり、糞もおおむね片付けられる。時折エサを与えに来る人間はいるが、ずっと一緒にいるわけではない。やることがなく、いつになってもそこから抜け出せない……。さて、この状況、あなたは耐えられるだろうか?

さらに、囚われ、精神的に追い詰められている象の姿を見ることは、人々の自然との共生の仕方を狂わせる。動物園では、大きな象の形を見ることができるが、その時に学習するのは、象の本来とは全く違う性質と、「人間の一瞬の楽しみのために、動物を支配できる」という暗く暴力的なメッセージだ。あなたが子どもたちに本当に見せたいのは、檻の中で不自然な行動を取る象なのか。本来の象や自然の素晴らしさを教えたいのではなかったか。

はな子が死んだというニュースは多くのメディアに取り上げられ、人々の関心の高さをうかがわせたが、「はな子、ありがとう」と報じる記事に違和感を覚えた人もいたのではないだろうか。実際に私たちの元には「ようやく解放されたのか」「あの世では幸せになってほしい」という声がいくつも届いた。残念ながら、もうはな子を誰も幸せにすることはできない。しかし、今も日本にはただ息をしているだけのような孤独な象がいる。彼ら彼女らの境遇に目を向け、改善につなげていくことはできる。

世界で減る動物園での象の飼育

インドでは動物園やサーカスで象を飼育展示することが2009年に禁止されていることを知っているだろうか? 禁止当時すでに飼育されていた約140頭の象も、保護施設や自然保護区に移動させていっている。その他、アメリカやイギリス、フィンランドなどの多くの動物園が、象を適正に飼育することはできないと判断し、飼育をやめていっている。中には、安楽死をさせ、飼育をやめた動物園すらある。動物園の飼育はそれほどに大変で、そして残酷なのだ。

日本でも、インドの決断のように、本来の生息地の保護施設などに動物を還すことを考えられないだろうか。もちろん、動物の飼育費用と種の保存のためのお金を払って。その上で、今すでに閉じ込められている象に対しては、動物たちが持つ欲求や能力を心理的、生理的に必要な環境や工夫で刺激して引き出し、クオリティー・オブ・ライフ(QOL)を高める必要がある。動物園と動物園にお金を払う人々は、動物たちが、少しでも精神的に追い詰められないように、努力する義務があるだろう。

方法はかなり確立されている。象を含めたほぼすべての動物に言えることだが、広さを確保し、群れで飼育する必要がある。土の地面にし、柵の形状も圧迫感を与えないものにする。隠れ場所を用意し、草木に触れ合えるようにし、砂浴びができる場所と、滝と池や川を作り水浴びする場所を用意する。給餌方法や餌自体も様々な方法、種類を試せるだろう。回数や量、食感の違うものや味覚が異なるもので変化をつけ、それらを様々な方法で与える。象の優れた嗅覚も利用し、ハーブやアロマやスパイスなどで刺激を与える。遊具を次々と導入し交換し続ける。タイヤや大きなブラシ、プラスチック製の樽、ボール、丸太、枯葉、その他毒性がなく鋭利なものではなければ、様々なものが利用できる。海外には象用のおもちゃも売られている。

当然ながら費用がかかる。環境を整え、維持するための費用と、人件費と材料費、スタッフをトレーニングするための費用などだ。このような環境を象に提供することが、日本の動物園に可能だろうか? いや、不可能だと思う。将来に渡って象を適正に飼育するための費用は、安い入場料や税金ではとても賄うことはできない。

私たちに何ができるか

「もう二度と、象を新たに閉じ込めないこと」。この決断はとても重要だ。なぜなら、象の幸せを、人がかなえることはできないのだから。

前述したように、動物園は「退屈」という虐待の場だ。さらに「誘拐」された動物やその子孫の監禁の場でもある。動物園で一時の娯楽を得た人には帰る家があり、彼らは次の週末には別の娯楽を楽しむことだろう。さらに、学校に行き、自分の意志で友人と遊び、スポーツをし、恋をし、結婚し、家族を作り、引っ越しをし、旅をし……。たくさんの自由を持っている。しかし、動物たちはそこに取り残される。彼らの苦しみに無関心になり、姿を眺め、楽しむことは簡単だ。しかし動物たちも本来、家族や仲間とともに生きる術を学びながら、自然の中で素晴らしい能力を発揮し、自由に生きるべきなのだ。

もしもあなたが動物たちの苦しみに少しでも目を向けてくれるのなら、これ以上、人の管理下に置く動物を増やさないこと、動物を苦しめないエンターテインメントを選ぶことを実践してほしい。象のためにできることは、野生の象の生息地を、密猟者や環境破壊から守ることだ。象牙を狙う人々(象牙商品の売買者)や、その地域の抱える様々な問題に目を向けることだ。動物園に行くことでは決してないし、ましてや日本の動物園の中に動物を閉じ込めることではない。