『6年目の福島』
2011年12月、野田佳彦首相が「事故収束」宣言をしてから5年経った。13年9月、安倍首相が五輪誘致演説で、事故は「アンダーコントロール」と宣言してから3年半。しかし凍土壁も機能せず、地下水の構内流入も海洋汚染も続く。メルトダウンした核燃料の取り出しも見通しが立たず、一方で子どもの甲状腺がんも多発し続けている。それなのに、強引な安全宣言で避難者への支援は打ち切られ、世界が危険とみなす地域への帰還が迫られる。
写真・文/広河隆一
Photo & Text by Ryuichi HIROKAWA

事故6年目が1か月半後に迫った1月25日、私は毎年定期的におこなっている福島第一原発の空撮をした。1号機の覆いが外され、瓦礫の撤去が始まっていた。3号機も天井遮蔽のための鉄板工事がおこなわれ、様相が変わっていた。しかし、1〜3号機のプール内には瓦礫が散乱し、核燃料は1573体もあり、いくつかは変形している。1号機内の瓦礫撤去だけで2年間かかると見積もられているが、これらを安全に取り出して移した後、溶けた核燃料(デブリ)の撤去には、いつ取りかかれるか見当もつかない。
構内を埋める処理水は、およそ90万トンが1000基のタンクに蓄えられ、地下にはさらに推定7万トンもの高濃度汚染水が溜まり、凍土遮水壁も凍結が始まってから半年たっても、地下水の建屋地下への流入を止める役目を果たしていない。何度も高濃度ストロンチウムの汚染水漏れが報告されてきた旧式タンク(ボルト締め付け型)は取り壊され、溶接型に替えられる途中だったが、敷地内にはもう新規タンクの設置場所はない。
経産省が打ち出した廃炉と補償の推定経費は21兆5000億円まで膨れ上がっている。チェルノブイリ原発でも核燃料撤去は、30年たっても手が付けられていない。事故炉を覆う石棺の耐久年数の30年が過ぎ、昨年、その上に新しいドームがかぶせられたが、その耐久年数は1 00年。この期間に作業が終わる保証はない。しかも日本では4基が爆発しているのだ。
国や自治体は、オリンピックを控えて、すべて「安全になった」「コントロールできている」というキャンペーンをおこなっている。
廃炉作業の見通しがつかず、事故の責任をだれもとらないまま、住民の帰還が進められる。現在の状態が「安定している」と宣伝するため、昨年11月18日、東電は18歳未満の福島高校の生徒たちの構内見学を許可したが、その直後の22日に震度5弱の地震が襲った。1号機のすぐ横には亀裂が入った排気塔があり、これが1号機建屋の上に倒れれば、恐ろしい惨事が起こるところだった。福島県では「安全」のイメージ作りに子どもが参加する場合が多いが、それを許可した人間や、許可するように圧力をかけた人物の責任が重く問われる。
高濃度汚染地への住民帰還もあまりに拙速だ。せめて完全に安全になったと確認できてからも、まず大人が住んで、それから最低5〜10年の間、完全に安全な状態が確認できた後になってから、妊婦や子どもが住み始めるという2段階が必要だ。大人に安全な環境が子どもや妊婦に安全とは限らないのだから。
国際的に危険とされている場所を「安全」と言い募ったり、「復興」や「オリンピック前の問題解決」などのスケジュールが絶えず優先されて、子どもたちや妊婦の配慮が無視される今のやり方では、人々の健康が犠牲にされていると言われても仕方がないだろう。






