キリスト教徒の街として栄えたイラク北部の街カラコシュ。
ISの侵攻により、人々は姿を消し、変わり果てた姿になっていた。
仲良く暮らしていたイスラム教徒の隣人とも、
戦争によって引き裂かれてしまった……。
写真/JM.ロペス 文/アントニオ・パンプリエガ
Photo by JM. LOPEZ Text by Antonio PAMPLIEGA
他宗教が共存した街
洗脳された「隣人」
この写真を撮影したJM・ロペスに同行して、
私はイラク北部のキリスト教徒の町カラコシュに入った。
彼とは同じスペイン人ということもあり、よく一緒に仕事をする。
2015年10月にアルカイダの一派にシリア国境で拘束されたときも、
また299日後に解放されたときも一緒だった。
このときの苦しい体験から、無神論者だった私は
神に祈ることを知り、神の存在を信じるようになった。
2人でカラコシュに行ったのも、当然の成り行きだった。
カラコシュはイラク北部、激戦のモスルから南30キロのところにあり、
イラク最大のキリスト教徒の町として知られていた。
住人5万人の大半はシリア系カトリックの信徒だった。
ニネヴェ地方の平野にあるのどかなこの町で、
人々は農業と牧畜、それに手工芸を営みながら平和に暮らしていた。
ところがISはモスルを占拠して2か月後の14年8月、カラコシュに侵攻した。
彼らにとってキリスト教徒はヤズディ教徒(注)と同様、憎むべき存在だった。
「ジハード(聖戦)」の名の下に彼らは破壊の限りを尽くし、
町を瓦礫の山にして、16年10月に撤退した。
(注)イラク北部のクルド人の一部に信じられている、ゾロアスター教やメソポタミアの伝統儀礼の流れを引く宗派。
私たちが着いたのはその2か月後だったが、人々は戻ってきておらず、
通りに人影はなかった。建物や家々はどこも黒く焼け焦げ、
ガラスは割れ、壁はくずれ落ちていた。
散在する教会の壁には「イスラミック・ステイツ(IS)」と落書きされ、
内部も荒らされ、十字架はもぎ取られ、
庭には銃撃訓練したのか無数の銃弾がころがっていた。
「みんなが戻って来るには何年もかかるでしょう。
ISがまだ怖いんです。本当にきれいな街で、だれもが称賛したのに。
キリスト教徒もイスラム教徒も仲良く暮らしていた。
戦争がすべてを壊してしまった」と、
パトロール中のキリスト教軍の若い兵士が嘆いた。
思いがけないことに、教会の一つに数十人が集まっていた。
「クリスマスのミサが始まるんです。2年ぶりに戻りました。数時間ですが」と、
マジャドという男性が語った。
彼は妻と2人の娘(当時6歳と2歳)と暮らしていたが、
ISが侵攻してすぐに男たちがやってきて、家の中を物色するようになった。
顔は覆っていたが、ISに洗脳された近所の人と分かった。
なかには娘の遊び仲間の父親もいた。
略奪、暴力、殺害、レイプなどなんとも思わなくなった連中だ。
「このままここにいたら殺される!」
一家は着の身着のまま逃げ出した。以来、従弟たちとは連絡が取れない。
脱出できずに処刑されたか、奴隷にされたか……。
弟はカナダにすでに亡命した。
カラコシュから東に80キロ、クルド人自治区の中心地
エルビルに逃れた人も多かった。ここで慈善団体の支援を受け、
ショッピングセンターに300家族以上が住んでいる。
「私たちは幸運です。でもイラクのキリスト教徒はどうなるのでしょう」
と、彼らは言う。
20年前には国内に200万人いたキリスト教徒が、現在では50万人を切った。
「私たちはこの国を出ていくべきなのでしょうか。
この国にいる限り、私たちに未来はないのでしょうか」
彼らは不安を抱きながらも、その未来から目をそらさない覚悟を決めている。
この国で生きたいという強い希望を抱いているようだった。
そう、ここが彼らの国なのだ。
(構成・翻訳/野口みどり)
JM・ロペス
1971年、スペイン・レオン生まれ。アートスクールで写真を勉強後、地元紙ラ・クロニカ・デ・レオンで、スタッフ・フォトグラファーを務める。2009年より、フリーランス・フォトグラファー。「シリア 戦闘後のコバニ」で、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞2017年3位受賞。DAYS JAPAN 2017年7月号「私の取材機材」に登場。
アントニオ・パンプリエガ
フリーランス・ジャーナリスト。2008年より、ブログ「Un Mundo en Gerra(戦争中の世界)」で、世界中の戦争に関する情報を発信している。