破壊された民家。カラコシュの家は軒並みISによって破壊され、焼かれたり略奪されたりした。カラコシュ、イラク。2017年4月15日

 

キリスト教徒の街として栄えたイラク北部の街カラコシュ。

ISの侵攻により、人々は姿を消し、変わり果てた姿になっていた。

仲良く暮らしていたイスラム教徒の隣人とも、

戦争によって引き裂かれてしまった……。

写真/JM.ロペス 文/アントニオ・パンプリエガ

Photo by JM. LOPEZ Text by Antonio PAMPLIEGA

 

 

他宗教が共存した街

洗脳された「隣人」

 

この写真を撮影したJM・ロペスに同行して、

私はイラク北部のキリスト教徒の町カラコシュに入った。

彼とは同じスペイン人ということもあり、よく一緒に仕事をする。

2015年10月にアルカイダの一派にシリア国境で拘束されたときも、

また299日後に解放されたときも一緒だった。

このときの苦しい体験から、無神論者だった私は

神に祈ることを知り、神の存在を信じるようになった。

2人でカラコシュに行ったのも、当然の成り行きだった。

 

キリスト教徒たちがクリスマスのミサに出席する間、セント・ジョン教会を警備するイラク人ガードマンたち。カラコシュ、イラク。2016年12月25日

カラコシュはイラク北部、激戦のモスルから南30キロのところにあり、

イラク最大のキリスト教徒の町として知られていた。

住人5万人の大半はシリア系カトリックの信徒だった。

ニネヴェ地方の平野にあるのどかなこの町で、

人々は農業と牧畜、それに手工芸を営みながら平和に暮らしていた。

ところがISはモスルを占拠して2か月後の14年8月、カラコシュに侵攻した。

彼らにとってキリスト教徒はヤズディ教徒(注)と同様、憎むべき存在だった。

「ジハード(聖戦)」の名の下に彼らは破壊の限りを尽くし、

町を瓦礫の山にして、16年10月に撤退した。

 

(注)イラク北部のクルド人の一部に信じられている、ゾロアスター教やメソポタミアの伝統儀礼の流れを引く宗派。

 

イラクのキリスト教系アッシリア人組織「ニネヴェ平原防衛隊(NPU)」から派遣された民兵たちが、モスルのトンネル内で捕まえたISメンバーに目隠しをして、ピックアップトラックで移送する。カラコシュ、イラク。2016年12月20日

 

私たちが着いたのはその2か月後だったが、人々は戻ってきておらず、

通りに人影はなかった。建物や家々はどこも黒く焼け焦げ、

ガラスは割れ、壁はくずれ落ちていた。

散在する教会の壁には「イスラミック・ステイツ(IS)」と落書きされ、

内部も荒らされ、十字架はもぎ取られ、

庭には銃撃訓練したのか無数の銃弾がころがっていた。

 

「みんなが戻って来るには何年もかかるでしょう。

ISがまだ怖いんです。本当にきれいな街で、だれもが称賛したのに。

キリスト教徒もイスラム教徒も仲良く暮らしていた。

戦争がすべてを壊してしまった」と、

パトロール中のキリスト教軍の若い兵士が嘆いた。

 

セント・ジョン教会で執りおこなわれたクリスマスのミサに参加するイラク人警官と子ども。カラコシュ、イラク。2016年12月25日

 

思いがけないことに、教会の一つに数十人が集まっていた。

「クリスマスのミサが始まるんです。2年ぶりに戻りました。数時間ですが」と、

マジャドという男性が語った。

彼は妻と2人の娘(当時6歳と2歳)と暮らしていたが、

ISが侵攻してすぐに男たちがやってきて、家の中を物色するようになった。

顔は覆っていたが、ISに洗脳された近所の人と分かった。

なかには娘の遊び仲間の父親もいた。

略奪、暴力、殺害、レイプなどなんとも思わなくなった連中だ。

「このままここにいたら殺される!」

一家は着の身着のまま逃げ出した。以来、従弟たちとは連絡が取れない。

脱出できずに処刑されたか、奴隷にされたか……。

弟はカナダにすでに亡命した。

 

セント・ジョセフ教会に身を寄せるキリスト教徒の家族たち。大半がカラコシュから避難して来た。エルビル、イラク。2014年9月13日

 

カラコシュから東に80キロ、クルド人自治区の中心地

エルビルに逃れた人も多かった。ここで慈善団体の支援を受け、

ショッピングセンターに300家族以上が住んでいる。

「私たちは幸運です。でもイラクのキリスト教徒はどうなるのでしょう」

と、彼らは言う。

20年前には国内に200万人いたキリスト教徒が、現在では50万人を切った。

 

ISに殺された息子の墓の前で泣き崩れるサビーハ(60歳)。クリスマスのミサの後に墓を訪れた。カラコシュ、イラク。2016年12月25日

 

「私たちはこの国を出ていくべきなのでしょうか。

この国にいる限り、私たちに未来はないのでしょうか」

彼らは不安を抱きながらも、その未来から目をそらさない覚悟を決めている。

この国で生きたいという強い希望を抱いているようだった。

そう、ここが彼らの国なのだ。

(構成・翻訳/野口みどり)

 

JM・ロペス

1971年、スペイン・レオン生まれ。アートスクールで写真を勉強後、地元紙ラ・クロニカ・デ・レオンで、スタッフ・フォトグラファーを務める。2009年より、フリーランス・フォトグラファー。「シリア 戦闘後のコバニ」で、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞2017年3位受賞。DAYS JAPAN 2017年7月号「私の取材機材」に登場。

 

アントニオ・パンプリエガ

フリーランス・ジャーナリスト。2008年より、ブログ「Un Mundo en Gerra(戦争中の世界)」で、世界中の戦争に関する情報を発信している。