(2018年5月号より)
2017年夏から始まったビルマ政府軍によるロヒンギャへの迫害は 残虐かつ非人道的で、村々は焼かれ、大勢が銃殺された。 襲撃を逃れた数十万のロヒンギャが隣国バングラデシュへ 逃げ出したが、過酷な行程や飢えが彼らの命をさらに追い込んでいく。 国際社会が批判する中、最悪の「民族浄化」が今も続いている。
文・写真/ポーラ・ブロンスタイン
Photo and Text by Paula BRONSTEIN / Getty Images
DAYS国際フォトジャーナリズム大賞2018 2位
国籍も与えられない人々
ビルマ政府軍によるロヒンギャへの迫害が終わらない。
世界保健機関(WHO)によると、ビルマ軍の襲撃を受けて、ビルマから隣国バングラデシュに逃れたロヒンギャは、昨年8月以降だけで67万人を超えるという。 ビルマに住んでいるロヒンギャは大半がイスラム教徒で、その数は100万人以上といわれる。彼らは自分たちを1000年以上も前からビルマ西部ラカイン州に住んでいると主張しているが、仏教徒が圧倒的多数を占めるこの国で彼らに対する憎悪は根深く、多くの争いが繰り返されてきた。ビルマ政府は彼らを、バングラデシュから逃げ込んできた不法移民とみなし、36年前にさまざまな権利や自由を制限した。今も政府は、ロヒンギャに対して国籍すら与えていない。
昨年8月21日、ラカイン州西部で、ロヒンギャの武装組織アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)が、国境にある政府軍の基地と、周辺の30か所の警察を急襲した。この急襲でARSAのメンバー59人とビルマ軍の兵士12人が死亡。大きな事件だった。そしてこれを契機に、ビルマ軍による残虐な「ロヒンギャ掃討作戦」が始まった。村々は焼き討ちにあい、男性たちは殺され、女性や少女はレイプされ、赤ん坊は炎に投げ込まれた。ロヒンギャはなだれを打つように逃げ出し、バングラデシュとの国境へと向かった。家族とはぐれた子どももたくさんいた。そんな中で、人身売買の業者も暗躍した。
国境を越えるために、彼らは舟を利用したが、転覆してしまった舟も少なくなかった。バングラデシュ南端の海辺では、100人のロヒンギャを乗せた舟が荒波で転覆。生き残ったのは17人だけで、残る女性と子どもたちは行方不明になったり、死亡したりした。5人の子どもを一度に亡くし、泣き崩れる女性もいた。眠るような女性の遺体も流れ着いた。
難民キャンプにたどりついた人々は、口々に政府軍による焼き討ちや虐殺を語った。そのなかに、腕の付け根に痛々しい傷跡のある少女がいた。彼女は母親が殺され、自分も銃弾を何発か受けたが、祖母と逃げてきたという。
これらの話は国連や人権団体をはじめ、国際的なメディアによって世界中に報道された。しかし、ノーベル平和賞の受賞者で、ビルマの国家顧問でもあるアウン・サン・スー・チー氏は、これらの残虐行為を非難しないどころか擁護した。ほかのノーベル平和賞受賞者や宗教的指導者、政治家が相次いで非難声明を出したが、彼女はそれにも応じていない。その後、ロヒンギャの帰還がバングラデシュとビルマで話し合われ、合意に達したはずだったが、ビルマは帰還を延期し、そのままだ。
今回のロヒンギャへの虐殺や迫害は、典型的な「民族浄化」にほかならない。まさに、人道に対する罪悪だ。(構成・翻訳/野口みどり)
*おことわり:DAYS JAPANでは、民主化運動を制圧したビルマ軍政が変更した英語名称「ミャンマー」ではなく「ビルマ」表記としています。
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