2014年以降、各地でISとの激しい攻防が続いたイラク。 ISに占拠された町が解放されていく中、 最後の砦となった北部の街モスルの奪還作戦は9か月にも及び、 あまりにも多くの市民が犠牲になった。
写真・文/ローレン・ファン・デル・ストック/ル・モンド/ゲッティルポルタージュ
Photo and Text by Laurent VAN DER STOCKT for Le Monde / Getty Reportage
DAYS国際フォトジャーナリズム大賞2018 第1位

壮絶なIS掃討作戦 市民の犠牲顧みず
北部の都市モスルを解放する戦いは、2016年 10月から翌年7 月まで 続いた。熾烈を極めたこの戦いが 9か 月にも及んだ理由は、命を惜しまない ISの戦闘員が約 万人もいたからと いうだけではない。IS掃討作戦が開 始された当初、モスルの町にはまだ 00万から150万人の住民が暮らし ていたからだ。

ISの支配下にある旧市街の北部 から、その日特殊部隊によって解 放されたアルザッハ地区へと、何 百人という市民が逃げだそうとし て、町中がパニックに陥っている。 2017年6月2日
ISが台頭した 14年6 月以降、イラ クの対テロ部隊(CTS)は、国内各 地でISの戦闘員や聖戦主義者たちと 戦い続けてきた。 15年にISに支配さ れたイラク西部のラマディでも、ティ クリットでも、大勢の市民がISに「人 間の盾」にされたファルージャでもア ンバール地方でも……。モスルの奪還 作戦でも、CTSの兵士らは、始めに 町の西部を制圧するときに中心的役割 を果たした。
しかし、モスルのもう半分を制圧す る際、戦闘にはイラク軍や連邦警察、 有志連合軍なども加わった。それは皮 肉にも、モスル奪還作戦による市民の 人的損害を劇的に大きくした。
モスル中央に流れるチグリス川の東 で、有志連合軍の砲撃部隊とヘリ部隊 はほとんど無差別に激しい攻撃を開始 し、数百人の市民が犠牲になった。住 む場所を追われた市民は 万人にのぼる。地上部隊による侵攻も容赦なくお こなわれた。そこにいた数千人の市民 は、ISによって制圧された地区から、 射撃と爆撃の前線をかいくぐって逃げ ざるを得なかった。
人道援助組織や国連の情報筋による と、 16年10 月から 17年6 月までのモス ルでのIS掃討作戦で、2100人か ら4000人もの市民が亡くなったと いわれている。

ここに掲載している写真のほとんど は、モスル奪還までの最後の か月、 最悪の戦場と化した旧市街で撮影した ものだ。この地区には、 14年にISの 指導者といわれるアル・バグダディが、 IS樹立を宣言した象徴的なモスク「アル・ヌリ・モスク」がある。IS の最大の拠点だったこの地区が、IS の最後の砦となったのだ。

最後の砦、モスル 「盾」にされた住民
モスル奪還に先立つ数か月、次々と 戦闘に破れたISの戦闘員たちは、地 区から地区へと移動していった。3 月 末には、有志連合軍やイラク軍が旧市 街の出口や内部を全面的に包囲し、多 くのISの戦闘員は、死を覚悟した戦 闘をする以外の選択肢がない状態だっ た。その結果、追い詰められた彼らは さらに攻撃的になった。自爆攻撃が激 しさを増し、さまざまな方法で住民を防衛のための「盾」にして使った。 ISの兵士たちは、市民を「盾」に使 えば、有志連合軍がむやみに攻撃して こないことを知っていたのだ。

人々は常に、ISの狙撃手たちから 狙われる危険や、捕まって拘束される 危険に晒されていた。人質にされた住 民たちにとって、解放されるまでの時 間は凄まじいものだった。IS戦闘員 への恐怖以上に、生き延びるための水、 食料、電気などが段々となくなってい くことに、 9か月の間耐えねばならな かったのだ。
6月には、旧市街でさらに激しい戦 闘が繰り広げられた。イラク軍側も躍 起になり、むやみやたらに砲撃するこ とも多かった。旧市街の住民たちは、 機関銃が連射され、砲弾が炸裂してい るさなかに、飛び出して逃げるしかな かった。

本当の解決は、軍事では成し得ない
瓦礫の山と化し、人が消えた道路に、 新たに介入したイラク軍の特殊部隊が 到着した。そこへ命がけで逃げ出した 人々が現れ、やっとの思いでイラク軍 の兵士たちと合流した瞬間を見た。彼 らは気絶する寸前で、時には子どもを 抱いたまま、空腹とのどの乾きから兵 士たちの腕の中に崩れ落ちた者もいた。
ISに支配されていた町の住民の多くが、モスルの解放を喜んだ。しかし、 肝心な問題は、戦闘が止んだあと、政 治的な組織作りと統治のプロセスをど うするかということだった。政治的諸 勢力、とりわけイラクで実権を握るイ スラム教シーア派の勢力は、モスルに 平和を樹立できるのだろうか。
イラクでは、イスラム教シーア派と スンニ派が、これまで何度も宗教対立 を繰り返してきた。スンニ派が過半数 を占めるモスルでは、この共同体への 尊重と正義を回復することなくして事 態を平穏に戻すことは難しい。作戦の 当初から、ある司令官は「本当の解決 は、軍事的なものではない」と言って いた。モスルとその地方の住民たちは、 そのことを痛いほど知っている。

2003年、スンニ派のサダム・フセイン 元大統領の失墜とアメリカ軍による占 領後、シーア派のマリキ政権はスンニ 派に対して弾圧を続けた。スンニ派の カリフ制(注)国家をうたうISの台 頭は、そこに契機を見出した結果だと もいえる。
この対立をなくすための妙案が実行 されない限り、たとえISを制圧でき たとしても、イラクではこの先また、 新しい形の蜂起が起こりえるだろう。
(構成・翻訳/コリン・コバヤシ)

ローレン・ファン・デル・ストック
フォトジャーナリスト。1964 年、ベルギー生まれ。1990 年より、フォト・エージェン シー Gammaでキャリアを 開始。2001年よりニュー ズウィーク、10年よりフォ ト・エージェンシー、ゲッテ ィ・イメージズに写真を提 供。おもに、旧ユーゴスラ ビア、チェチェン、シリア、 イラク等の紛争地帯で取 材。12年からはフランスの ル・モンドに写真を提供。