
服用されなかったヨウ素剤
安定ヨウ素剤(以下ヨウ素剤)という薬がある。原発事故などで放出される放射性ヨウ素を、のどにある甲状腺という小さな器官に取り込まないように服用する薬だ。甲状腺ホルモンの合成にはヨウ素が必だ。このヨウ素は自然界には海草などに多く含まれると言われている。 やっかいなのは、人間の体は自然界のヨウ素と放射性ヨウ素を区別できないことだ。そして自然界のヨウ素と勘違いして、放射性ヨウ素を取り込んでしまう。それにより甲状腺は被曝し、やがてがんが発症することがある。スリーマイル島原発事故でもチェルノブイリ原発事故でも、ヨウ素剤は、不十分ではあったが、「配布されるべき」という考えは共有されていた。そしてチェルノブイリで多くの小児甲状腺がんが発生したとき、世界はヨウ素剤がどれほど大切か思い知った。なぜなら、後述するが隣国ポーランドでは、ヨウ素剤を配布したためにこれまで小児甲状腺がんは発症していないと言われているからだ。
いま大きな疑問が起こっている。福島第一原発事故が起こった時に、世界中で常識となっているはずのヨウ素剤の配布が日本でなされなかったのはなぜだろうか。ヨウ素剤が必要だという考えさえ、専門家やメディアによって共有されなかったのはなぜか? 福島では三春町などごく一部の人にしかヨウ素剤は服用されなかった。しかし福島県立医科大学の職員と家族には配布されたと言われている。この事実は地元のFM局でも伝えられたという。なぜこのようなことが起こったのか。
チェルノブイリの被災国の一つウクライナでは、甲状腺がんになった子どもたちは、首都キエフのウクライナ内分泌研究所(アンコロジーセンター)で検査され、手術される。だからここにはウクライナ小児甲状腺がんのすべてと言っていいデータが集まっている。日本の研究者たちは必ずここを訪ねる。私は1990年ごろからここを頻繁に訪れてきた。救援のためである。今でも私たちが贈ったエコー(超音波診断機)が何台も大切に使われている。手術後の子どもたちが毎日服用しなければならない薬も、長い間ここに送り続けてきた。
この研究所の専門家に、日本が福島の住民にヨウ素剤を配布しなかったことをどう思うのか聞いたのは、2014年に訪れたときだ。彼らはそのことをすでに知っていて、「はじめて聞いたときは驚いた」と言っていた。なぜなら日本の専門家は、チェルノブイリ事故の後にこの研究所を訪れて、事故の時、住民にヨウ素剤の配布をきちんとできなかったと言ってウクライナの専門家を批判したからである。ところがウクライナの専門家は、その日本の専門家たちが、福島の事故で何の対処もしなかったことを知って驚いたのだ。日本の専門家は事故でうろたえていたのだろうか? そうだとしたら、彼らがヨウ素剤服用に反対する発言さえおこなったことをどう説明すればいいのだろうか。
「飲む必要はない」と繰り返した「専門家」
当時ネットでは、ヨウ素剤を求める声が数多く飛び交っていた。そして2011年3月14日午後10時半ごろ、NHKニュースではこのヨウ素剤についての「専門家」による言及がなされた。招請された杏林大学医学部山口芳裕教授(注/専門は救急医療。福島第一原発事故と復旧作業に対する救急・災害医療支援にたずさわる)は次のように語っている。「被曝に対して、ヨウ化カリウム(ヨウ素剤)を服用しなければいけないかという情報が流れているようですけれども、これは現状で一番近いところで被曝された方においてでもですね、必要ないというのが国の公的なコメントですので、どうかご不安に思わないでですね、そういうものを探しまわったりですね、何とか入手しなくちゃというふうに思わないでいただきたいと思います」 アナウンサーは再確認するように「今の段階では、どなたも飲む必要はない?」と尋ねると、山口氏はこう答えている。「必要はありませんし、必要が無いのに飲んで副作用ということもありますので、これは必要ということであれば国が必ずそういう手だてをしてくれると信じていただきたい。私も信じたいんですけれども」
どうにも歯切れが悪い言い方だったが、彼は「飲む必要が無い」と繰り返し述べた。NHKが招いた専門家がこのように語ることに対して、NHKの科学文化部はじめ誰も何のフォローもせず、この発言を認めることになった。この時期にはすでに 号機も 号機 も爆発し、NHKでは何度も「炉心溶融」という言葉が飛び交っていたのにである。専門家でなくても、少しでも原発事故のことを学んだ人なら、放射性ヨウ素が放出されていることは自明だった。しかしヨウ素剤への言及はなかった。
NHKでは事故直後のもっとも大切なときに、ヨウ素剤の服用を促すどころか、むしろそれを邪魔するかのような「知見」が放送された。いったいこれはなぜだろうか。国や自治体にヨウ素剤の服用を真剣に考えるべきだと注意を促すべきではなかったか。
他の民法各局でも、招かれた専門家は皆、ヨードチンキやうがい薬を飲むなという注意を与えただけで、ヨウ素剤を飲むようにとの指示はなかった。
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(以下、国会事故調)の田中三彦委員(元原子炉設計者)は次のように言う。
「はっきり確証は得られませんが、東京都医師会の防災担当の医師が、福島第一原発の全電源が喪失した晩、1万錠のヨウ素剤を追加手配したが、6000錠は国に差し押さえられ、残りの4000錠は都知事が返品しました。 東京都はどうなってんだろうな。改めて考えてみると、あのとき東京都はヨウ素剤に関してどういう方策を取ろうとしていたのでしょうか」
服用指示は出ていた
国会事故調の中では、ヨウ素剤の配布についてどのような議論があったのだろうか。国会事故調の委員だった崎山比早子委員(高木学校所属)に尋ねると、次のような答えが返ってきた。「委員会の中でヨウ素剤がどの程度配布、服用されたか調査した結果、服用した人が 2万人足らずだったことが判りましたので、何故そうなったのか原因を調べました。そこでわかったのは、事故後原子力安全委員会からヨウ素剤の服用指示のファックスが福島県庁と原子力災害現地対策本部(オフサイトセンター)に 送られたらしいということです。しか し、県庁では誰も気がつかず、オフサイトセンターに送られたものは行方知れずとなったそうです。福島県知事も服用指示を出さなければなりませんで たが、彼にはその自覚がありませんでした。市町村長も服用指示を出せたのですが、彼らは副作用を恐れて出しませんでした。独自に服用指示を出した町(三春町)に対し、福島県庁から回収せよという指示が出されたのは事実です。なぜそうしたのかは想像の域を出ませんが、多分人の命、健康より も命令系統の重視とか事故そのものを軽く見せようとする意識が働いたのではないでしょうか」

「ヨウ素剤の服用についての指示書(案)」
原子力災害対策現地本部長から福島県の公共団体への「指示(案)」に、原子力安全委員会連絡調整班がコメントを入れ、ERC(経済産業省緊急時対応センター、この中に原子力防災対策現地本部(オフサイトセンター)が置かれた)に対して送付したファックス。コメントの趣旨は、スクリーニングレベルを10,000cpmとすること、スクリーニングレベルを超えた場合の除染と安定ヨウ素剤の服用及びそれにともなう注意事項など。その後、この書面の完成版が原子力災害対策現地本部長から福島県の各自治体へ出されたかは定かではない。
(原子力安全委員会事務局が2012年9月13日に発表した「住民スクリーニングと安定ヨウ素剤服用に関する平成23年3月13日の助言の経緯」より)
福島県地域防災計画では、ヨウ素剤の配布と服用については原子力災害対策現地本部の指示または県知事の判断に基づき、県災害対策本部が住民等に対し指示するということになっている。しかし国会事故調の調査では、原子力安全委員会の指示も届かず、それなのに服用していると想像し、県の知事もヨウ素剤の服用を指示しなかった。それにもかかわらず、県知事は国会事故調の意見聴取で、「国に確認しながらやっていた」と発言している。当時テレビの画面では、枝野官房長官が「万全を尽くしている」と語っていたが、現実はあまりにお粗末な状況だったのだ。
ヨウ素剤はいつ飲めばよいのか
それではヨウ素剤はいつ配布していつ飲めばいいのか。 このことについては、2001〜02年におこなわれた原子力安全委員会の 被ばく医療分科会ヨウ素剤検討会(主査:山下俊一氏)で決められたという。まず、日本の服用基準値は、100mSVとされた。崎山氏は次のように語る。
「ヨウ素剤は放射性ヨウ素が身体に入る24時間前から体内に入る時くらいまでに飲んでおけば、放射性ヨウ素の甲状腺への取り込みを90%以上押さえることができますが、時間が経つにつれて効果が減少し、24時間後ですと7%位になってしまいます。
それで、事故が起きたらすぐに飲めるように、ドイツ、フランス、ベルギー、 オーストリアなどは家庭配布をしています。日本ではヨウ素剤検討会で、事故前からのヨウ素剤の家庭配布はおこなわないと決め、防災訓練の時にもヨウ素剤をどのようなときに配布し、服 用指示を出すか、一応決まってはいたのですが、訓練はおこなっていませんでした。家庭配布をしなかった理由は、日本では原発事故が起きないことになっていましたから、ヨウ素剤を配布することはそれと矛盾しますし、住民に事故が起きるかもしれないという不安を抱かせるのを恐れたからです」
副作用はほとんど無視できる
では副作用についてはどうだろうか。原発事故直後にNHKの呼んだ専門家は、副作用を強調していた。つまり副作用が生じる恐れがあるので、ヨウ素剤を服用する必要がないというのだ。崎山氏は次のように言う。
「ヨウ素剤の副作用はほとんど無視できるにもかかわらず、山下俊一氏が主査であったヨウ素剤検討会が副作用を強調したために、市町村長は独自に服用指示を出すことをためらいました。検討会ではヨウ素アレルギーと呼ばれているものは、多分造影剤などに含まれる他の成分に対するアレルギーであり、ヨウ素そのものに対するものではないだろうという意見が出ました。なぜならヨウ素に対してアレルギーがあるなら大変です。だって甲状腺ホル モンは誰にも絶対必要ですし、ヨウ素を取り込まないと甲状腺ホルモンはできないのですから。またヨウ素剤は3年ごとに買い換える必要はないという意見も検討会では出ていました」
さらに次のように語る。「ヨウ素剤検討会の中での議論でも、本当にヨウ素剤にそれほど副作用があるかどうかは、委員もほとんど知らなかった。それで一生懸命、古い文献を引っ張りだして、例えば結核が悪化するとか、まれな自己免疫疾患の人の症状が悪化するとか、副作用を洗い出したんですよ。それで副作用があるから気をつけろと大声で言ったんです。
ですから福島原発事故のときも、本当は自治体で配るヨウ素剤は持っていても、服用指示をおこなったのは、三春町、富岡町、双葉町及び大熊町(双葉、大熊についてはごく一部が服用)だけでした。他の自治体がなぜ服用指示をおこなわなかったかというと、事故の情報がほとんど伝わっていなかったので判断できなかったことに加えて、副作用があったときにどう責任を取るかをすごく恐れたわけです。ですからそういう意味でヨウ素剤検討会が副作用を強調したのは、ものすごく罪だと私は思います。
ヨウ素剤検討会には、日本で最大の甲状腺専門病院のひとつである伊藤病院の先生が参考人としていらっしゃって、『ヨウ素剤内服による副作用はきわめて希で、実際問題として投与の際に副作用を懸念して、患者に説明することはしないのが通常である』と証言されていました。ですから副作用を誇大広告のように言うのはおかしいのです」
誇張された副作用の恐怖は、次のような形でも現れた。
国会事故調の報告書によると、ヨウ素剤を配布されていた浪江町は、薬を持って町内の津島に避難したが、服用の決断を出せなかった。国会事故調の調査に応えて町は、「副作用などで万 が一にも死につながったり」することを恐れ、「誰が責任をとるのか判断できなかった」からだという。
そして福島県放射線健康リスク管理アドバイザー就任前日の3月18日に福島県入りした山下俊一氏は、福島県立医科大学の職員向け講演会に臨み、驚くべきことに「安定ヨウ素剤の服用は必要ない」と断言したのである。
これは100mSVに達していないという理由だろうが、この判断が後の福島で小児甲状腺がん多発につながった可能性がないとは断言できないのではないだろうか。
福島事故時のヨウ素剤配布の実態
それでは実際に福島第一原発周辺自治体では、ヨウ素剤はどのように配布され、どれくらいの人が服用したのだろうか。国会事故調が【図1】にまとめている。
三春町(第一原発から45キロ、人口約1万8000人)の場合は、3月14日(23時)の課長会議で、深谷茂副町長(当時)の主導でヨウ素剤の服用を決め、それを伝えられた鈴木義孝町長が「責任は町で取る」と承認したという。翌15日には三春町の方向に風が吹き、それに伴って放射能のプルームが襲うという情報を得たのだ。この町の判断を、多くの人々が賞賛している。
「311甲状腺がん家族の会」の千葉親子(ちかこ)共同代表は次のように話す。
「地元でチェルノブイリ事故の後から放射線量を調べていた元中学校の先生が、地震が起きた翌日の3月12日から数分単位で放射線量を克明に記録していました。
『おかしいぞ、風向きこっちだし、雨降るんじゃないか』と町に知らせたそうです。そこに双葉郡内から避難して来た人々にヨウ素剤が配られているのをみて、『何飲んでいるの』『ヨウ素だよ』ということで、ヨウ素の存在を知り、すぐに県庁にヨウ素剤を取りにいくことになったといいます。こういう時に町長が職員の意見を受け止め聞く耳を持っていたというこが、すごいと思います。それで職員が県庁に行ったら、ヨウ素剤は廊下に山積みになっていたそうです。『好きなだけ持って行っていいです』と言われて持ち帰り、すぐに住民台帳を見ながら、行政区ごとに何世帯で何人だと調べ、町長もみんなと一緒に夜通しで薬を小分けにして、次の日、町民に配った(40歳未満の7250人分)だそうです。三春町で日常的に放射線量を測定していた市民がいたことも含め、こういう判断ができたのはすごいなあと思いました」
しかしこの三春町に対して、県は国の指示が出ていないとして、ヨウ素剤の返還を求め、それに対して三春町は「すでに飲んだ」と対応している。そして川内村では、ヨウ素剤は3月16日に役場に届いたが、みんな避難した後だった。また、ヨウ素剤配布基準の混乱もあ った。県の災害マニュアルによる配布基準は、事故前は1万3000cpmだったが、3月14日にに県はこれを10cpmに引き上げた。あまりにも被曝が大きかったためである。一方で国会事故調は県知事に対して、「住民に対してヨウ素剤の服用指示がなく、住民の初期被曝の提言措置が取られなかった責任は、緊急時に情報伝達に失敗した原災本部事務局医療班と原子力安全委員会、そして投与を判断する情報があったにもかかわらず服用指示を出さなかった県知事にある」と責任を問う報告をしている。
茨城県の配布状況
事故後の原発立地県のヨウ素剤配布状況については、茨城県の前東海村村議で「脱原発とうかい塾」の相沢一正さんが送ってくれた資料によると次のようになる。
PAZ(原発からおおよそ5km) 圏内に限り、事前にヨウ素剤が配布される件については、福島原発事故2年後の2013年に改定された国の原子力災害対策指針などで定められた。これによって鹿児島、福井、愛媛、北海道、京都、佐賀の各道県ですでに配布されたという。相沢さんによるとヨウ素剤配布は国の交付金事業によるもので、2000〜3000万円があてられたという。こうして茨城県東海村と那珂市では15年10〜11月、日立市では16年1〜2月に事前配布がおこなわれた。
対象となる人口は日立市人口19万人弱のうちPAZ圏内で該当するのが約2万6600人。那珂市人口5万数千人のうち該当するのが約1100人。そして東海村は全人口が該当者となり 約3万8400人である。ひたちなか市も一部がPAZ圏内に入るが、全市民に配布するようにという市側と県の調整が遅れ、結局市が自らの予算でヨウ素剤を準備することになったという。全市民にという要求は、福島原発事故のあと、放射能が5キロ圏にとどまることなどありえないというもっともな主張による。ひたちなか市以外の場所では、まず医師・薬剤師などの協力のもと、説明会が開催され、そこで薬剤師が「安定ヨウ素剤の効果と副作用」「取扱い」について約30分説明をおこなった上、チェックシートを渡す。次に配布会が地元の医師会と薬剤師会の協力のもとおこなわれ、チェックシートが確認され、ヨウ素剤が配布される。
チェックシートには、さまざまな質問が書かれていて、その結果「慎重投与該当者」とされた人は、医師の問診を受けた上で、ヨウ素剤を交付されるという。もちろん中には薬が配布されない人もある。そうした人は、事故が起こった時にまず最初に避難するリストに入れられる。つまり放射性ヨウ素が襲ってくる前に避難させてしまうから、ヨウ素剤が必要なくなるというわけだ。服用の注意としては、原子力災害時に国や地方公共団体から指示があった場合にのみ服用することと書かれている。
服用量は「3歳以上13歳未満」が1丸(ヨウカカリウム50mg・ヨウ素量38ミリグラム)(注/日本医師会「原子力災害における安定ヨウ素剤服用ガイドブック」より)
薬と一緒に保管する注意事項の紙には、これまでヨウ素を含む医薬品服用後、じんましん、呼吸困難、血圧低下などの症状を経験した人と、ヨウ素アレルギーの診断を受けたことのある人は、服用しないようにと指示されている。
問題は3歳未満の子どもだが、ヨウ素剤はにがく飲みにくいということで海外では溶液が生産され配られているそうだが、東海原発周辺の乳幼児には「災害時に薬剤師等が調整した液状の安定ヨウ素剤を服用することになりますので、丸剤は服用させないでください」と指示されている。しかし福島のように一定の時間をかけて炉心溶融を起こして水素爆発があったケースではなく、チェルノブイリのように瞬間に爆発して放射能が放出されるタイプの事故の場合は液体のヨウ素剤を取りに行く時間などないはずだ。
茨城県保健福祉部薬務課作成の「安定ヨウ素剤配布説明会」には次のように書かれている。
「安定ヨウ素剤の効果は、服用後24時間程度持続します。おおむね5km以内にお住いの皆さまには、放射性物質の放出前に直ちに避難していただきます。その際、滞りなく安定ヨウ素剤を服用いただけるよう事前にお配りしておくものです」「安定ヨウ素剤の服用指示について自己判断で服用せず、国、県又は町村の指示に従い服用してください。指示は防災無線、テレビ、ラジオ、イ ンターネット、エリアメール等でお伝えします。*自己判断で服用した場合の副作用などについては自己責任となりますので、ご注意ください」
しかしこの副作用については、実際にはあまり報告例が無いとも書かれている。
山下俊一氏の役割
さらにこの文書では、副作用についてチェルノブイリ原発事故時のポーランドの事例をあげている。
それによると、ポーランドでは、小児1000万人、成人700万人に安定ヨウ素剤を配布し、 万4491人の追跡調査をしたところ、影響が後に残る副作用はなかったと結論付けて いるのだ。ポーランドがすぐにヨウ素剤を摂取したおかげで小児甲状腺がんが発症しなかったということは、山下俊一氏も認めている。彼は11年5月20日におこなわれた「チェルノブイリ原発事故の教訓から福島原発事故の健康影響を考える」という講演の中で、ポーラン ドのヨウ素剤配布人口こそ異なるものの、「隣の国のポーランドでは即座にヨウ素剤を人口1200万人の方々に配り、甲状腺の放射性ヨウ素の取り込みをブロックしたということで、その後放射性ヨウ素による甲状腺がんの発生を見ていません」と語っている。
こうしたことをはっきり知っていたにもかかわらず、山下氏は福島原発事故の時には、配布に慎重かつ否定的な考えを示し、副作用を誇大に発言することで、各自治体がヨウ素剤を 服用するのをためらわせる役割を果たしたのである。
ある福島県民の女性が、県庁で「どうして私たちのところでヨウ素剤が配られなかったんですか」と聞くと「副作用というのがありますから」という答えが返ってきたという。さらに「全員に行き渡らないから、不公平だから、騒ぎが起こる」とも言われた。
ちなみに三春町ではヨウ素剤の副作用は、今の時点でも重篤な事例はひとつもないとのことだ。
もう一つ挙げられている例によると、「福島原発事故時の事例」として、作業員約2000人がヨウ素剤を服用したが、過敏症の報告はなかった。ただ14日以上又は20丸以上服用した229人中3人(1.3%)に一過性の甲状腺機能低下症が認められた。
ここでも「安定ヨウ素剤を服用できない方」として「過敏症の既往歴のある方は服用できませんので、安定ヨウ素剤をお渡しできません」とある。しかし福島原発事故後の作業員にも、 過敏症はほとんど見られなかったと書かれているのだ。
さらにチェックシートにも「慎重に服用する必要がある方」として、病気の項目8項目、併用に注意する薬剤として7項目が挙げられているが、「一回の服用では健康に影響をあたえる程の服用量になりません」と書かれている。つまり事故後にNHKの「専門家」や山下俊一氏らが語ったようには、副作用はほとんど気にしなくていいのだ。
「住民が動揺するから」福井県は配布せず
若狭湾の小浜市での状況については、地元の古刹の僧侶中嶌哲演さんが、自著『スリーマイル・チェルノブイリ・そして日本 原発銀座・若狭から』(光雲社、1988年)で次のように書いている。
「(1981年の)暮れですが、各新聞の第一面にニュースが報道されました。『アメリカのセコイア原発の周辺8キロ以内の7000世帯に、ヨウ化カリウム剤が電力会社自らの手によっ て配布された』
100万キロワットの原発が、一基、仮に一年間何の事故も起こさずにスムーズに動いたとしたら、その原子炉内で、広島型原爆1000個分の死の灰が作り出されます」
「スリーマイル事故の時も、8キロ以内の妊婦たち、学齢前の子どもたち、乳幼児が強制的に避難させられた。その主たる原因もやっぱりヨウ素を吸い込んだ場合を恐れての処置だったようです」
中嶌さんは次のように言う。「私たちは1982年の2月ごろ福井県の厚生部医務薬務課に行きました。福井県はそれ(セコイア原発でヨウ素剤を各戸配布したこと)を頬かむりして済ますつもりだったようですが、私たちが追及したところ『いや、実は確かに81年度から国はヨウ化カリウム購入のために、95万円の予算を福井県に下している』というのです。それは『若狭の住民5万人、10日分のヨウ化カリウムを購入し、確保するだけの予算なんだ』というわけです」
ではすでにヨウ素剤を購入したのかと中嶌さんたちが聞くと、まだ買っていないという。では予算をいつ執行するのかと聞くと、『必要が生じなければ国に返還する』と答えたという。そして『これを安易に配布すると、住民の心理的な混乱、動揺を起こす。それが配布できない理由の一つ』だというのだ。
しかし住民の追求のおかげで、県は1981年度の予算を執行せざるを得なくなり、敦賀保険所と小浜保険所に、若狭湾の住民5万人の10日分のヨウ化カリウムを保管することになったという。
82年4月12日付の朝日新聞は、ヨウ素剤の有効期間は10年だとしたうえで、「しかし住民に届ける方法はまだ確立されていない」と書いた。
86年のチェルノブイリ事故後は、ヨウ素剤が広範な地域でたった2か所の保険所にしか保管されていないのでは、配布が間に合わないという危機感が住民の中にふくれあがった。多くの場所ではヨウ素剤が保管されている場所に行くためには、原発の方向に向かわざるを得なくなることもある。「ヨウ素剤を学校、保育所などに常備せよ」と要求する住民は自衛する道を求めた。翌年の87年12月8日の「小浜市民の会ニュース」には、「ヨウ素剤はどこで入手できる? 小浜市内の薬局で入手可能。1瓶500錠入り2800円」というお知らせが掲載されている。89年9月30日には、「原発事故発生の場合の避難方法」の特集で、避難に備えるべき緊急持ち出し物資の中にヨウ素剤を含めている。
そして原発設置反対小浜市民の会が発行する2016年6月の「はとぽっぽ」第211号には、兵庫県の篠山市の試みが守田敏也氏(注/守田氏は『原発か
らの命の守り方』(海象社、1380円+税)を出している)によって紹介されている。
記事は「篠山市で安定ヨウ素剤事前配布を実施」と題され、次のような内容を紹介してい る。篠山市で原子力災害対策検討委員会が12年に設置され、委員会の提言のもと、13年9月市議会で薬の購入を予算化し、14年3月に5万人分の購入を実現。市役所と各地の診療所5か所に備蓄。学習会で講習を受けた市の職員400人が200の自治会を訪問。特に篠山市消防団が力を入れ、講習会を繰り返し、団員1200人すべてが学習を終えたという。
こうして16年1月から3月まで、30回にわたり住民への説明と配布会を開き、初日だけで1000人分のヨウ素剤が手渡され、最終的に3歳から13歳未満の子どもたちの約66%にヨウ素剤が渡されたという。
ヨウ素剤の有効期限
その有効期限について崎山氏は次のように言う。
「日本ではヨウ素剤は3年が期限なので3年ごとに取り替えるように言われていますが、ヨウ素剤検討会では、11年たったヨウ素剤の有効性を検査したら99.1%活性があったというデータを紹介していました。湿度をさけて遮光しておけば、ヨウ化カリウムですから変化しないのです。検討会では有効期間についても再考が必要と言われていたのですが、今でも変わっていません」
柏崎市議の矢部忠夫氏は、福島原発事故のときにヨウ素剤はないかと問い合わせがきたので、かき集めて福島に持って行ったが、時期が遅くて使えないと言われたという。放射性ヨウ素の半減期8日を過ぎていたということではなく、被曝してしまった後だから飲んでも仕方がないという判断がなされたからだという。そして次のように続ける。
「柏崎では、5キロ以上離れた場所は屋内退避することになっています。だから放射能が蔓延してから逃げるということですが、ヨウ素剤をその人々に誰が配るのかという問題があります。結局自治体の職員が配るしかないけれども、労働基準法上、そういう放射能の濃度の高いところに職員を行かせるのかとクレームが出ている。国は、自治体がヨウ素剤を独自に配布するのは認める方向だそうですが、でも柏崎市は5キロ以上の地区には配っていません。だから今その件の検討を始めています」
中嶌氏は、小浜市ではずいぶん前からいろいろ提案・提言はしてきているが、実現できないと述べる。ただし、福井県北部で原発から遠い嶺北の旧今立町と旧朝日町では、全校にヨウ素剤配布したという事例はあるという。
「かえってたいして利害関係のない嶺北の自治体のほうが、住民の要求を率直に受けとめて、実現してるんですけど。なまじ嶺南の若狭のほうは原発の しがらみにまといつかれて、行政の腰 が重いんですね」と中蔦氏は言う。
職場への配布の必要性
矢部氏は言う。「現実問題としては各家庭に配っておく、しかしそれぞれ個人は常備薬として持ち歩くわけではないから家に置く。そうすると昼間事故が起こったときに対処ができないから、事業所だとか学校とかに二重配布しておかないと意味がない。立地自治体もそこまでの配慮はまだしてない。そういう問題がありますね」
また、「3歳未満を放置してヨウ素剤を渡さないのはおかしいじゃないかという主張をしています。今のところはくだいて飲ませることはできないと、自治体は言う。処方できないからそれはだめなんだという。
それは矛盾すると思います。5キロ以内は、事故が起きたという10条通告が出たら準備をして、条通告が出たら逃げるということなんですよ。しかし10条通告が出た時、そこに3歳未満の子がいるじゃないかって。ヨウ素剤を飲ませないで逃げるのかという話になるわけで。言われたほうもそれは矛盾だと思ってはいるけれども、『いやまだ国が飲ませられないと言っている。薬を開発中だから』と、意味の分からないことを言っている状況です」
5キロ圏を越えて各戸事前配布を!
中嶌さんは、地域の防災意識が育つことは原子力行政にとって望ましい事ではないと言う。
「それは行政にとっては一番まずいことなんですよ。なぜならヨウ素剤を配るということは、原発は危険だということを住民に知らせることになるからです。それはまずいという本音を、はしなくも福井県敦賀市の高木孝一元市長が20〜30名の人々の前で語りましたが、そういう原発現地の行政担当者の意識はまったく変わりませんね」
原発事故当時は、福島で有機農業を営んでいた秋山豊寛氏(宇宙飛行士) は現地の反対運動の中に、次のような考えがあることも指摘する。
「大事故が起こることを前提にして今動いていいのかという意見も出ていることは事実です。今やるべきことは『再 稼働阻止』じゃないかと。そこは難しいところなんですよ。原発避難民の一人である僕の立場で言うと、福島から避難した人に対して、各自治体から無料で提供されている住宅支援が、2017年3月31日で打ち切られる人が、京都でも500〜600 人、石川県でも400〜500人いますし、そういうことの方がより切実な問題なんです」
確かに私たちが福島の子どもに保養が必要という方針を掲げたときにも、それは人々が福島に住み続けることを後押しすることになるのではないかという意見が出た。しかし反原発運動が福島原発事故を阻止できなかったことを心にとめておきたい。どちらかだけでいいわけではない。もしもの場合の対処をおこなうことが、同時に他の権利の要求を後押しすることになる。人々の闘いは裁判、デモ、言論活動、選挙そのほかさまざまにある。それらを進める間も、子どもを放射能にさらす時間を少しでも減らすという配慮はすべての闘いに通じるのではないかと思う。
甲状腺がんの対策としてヨウ素剤を準備することは絶対に必要だ。しかしそれでよしとする人はいない。今5キロ圏内で実施されていることは30キロ圏内でも実施を求めなければならない。そして福島原発事故は、放射能のプルームが30キロにとどまらなかった。地震列島に住む日本中の人がヨウ素剤を携行しなければならないという事実に突き当たった時に、私たちはとんでもなく大変な状況におかれている とがわかるだろう。そして自衛をし つつ、原発をなくさなければ未来はないことを思い知るだろう。
文/広河隆一
取材協力/和田真、崎山比早子、吉田由布子、広瀬隆、千葉親子、田中三彦、相沢一正、中蔦哲演、矢部忠夫、秋山豊寛