特集『南スーダンと自衛隊』
安保関連法が採決されて1年強。「駆け付け警護」や「宿営地の防護」という
新任務を付与された自衛隊が南スーダンPKOに派遣されるという。
役割は今までのような「インフラ整備」ではない。戦闘に巻き込まれ、交戦主体になる確率も高い。現地の「停戦協定」は破綻している。
それでもなぜ派遣するのか。現地では、多くの市民が戦闘に巻き込まれ、飢餓が蔓延している。そもそも、平和憲法がある日本が武力を持った自衛隊を送ることは
現地の人々にとって本当に正しい、唯一の道なのか。
話/井筒高雄(元陸上自衛隊レンジャー隊員)、栗田禎子(千葉大学教授)、
ドミニク・ナール(フォトジャーナリスト) まとめ/丸井春(本誌)
写真/ドミニク・ナール、サイモン・マイナ/AFP=時事、
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①終わらない戦闘の地
南スーダンという国
「南スーダンは内戦状態です」と、長くスーダン情勢を分析してきた千葉大学の栗田禎子教授は言い切る。南スーダンでは、2013年末から大統領派と副大統領派の間で対立が続き、この7月にも戦闘が再燃したばかりだ。
世界で一番新しい国「南スーダン」。権力争いによる内戦が絶えず、闘いは日常化し、国連の報告によると400万人以上が深刻な飢餓状態に陥っているという。平和憲法を持ち、軍隊を有しないと決めている日本の自衛隊が、武器を持ってこの地に行く。これは、絶望に生きる現地の人々にとって、日本がするべき唯一で最良の方法なのか。それを模索するためにも、まずは、南スーダンについて知りたいと思う。
2011年7月9日、スーダン共和国の南部が独立する形で「南スーダン共和国」は誕生した。スーダン国内で50年余にわたって続けられてきた泥沼の内戦がようやく終わる――。独立は、それまでスーダンのバシール政権から圧力をかけられ続けてきた南部の人々にとって、希望のはじまりだった。スイス出身のフォトジャーナリスト、ドミニク・ナール氏はその年の1月、スーダンからの独立を問う住民投票の現場に居合わせている。「あの日、南部住民の98パーセントが独立を支持した。歴史的瞬間だった。中心都市ジュバは、もうすぐ誕生する新しい国の首都になるという期待から活気に満ちていた」と振り返る。
世界で一番新しい国。独立はしたものの、南スーダンはもともとスーダン内部でも「底辺」に位置づけられてきた貧困地域だ。道路も、生活に必要な病院や学校もない。国連安保理は、国づくりの手伝いと治安維持の目的で、PKO(国連平和維持活動)の派遣を決めた。それが今に続く国連南スーダン派遣団=UNMISSである。日本の自衛隊も11年末から部隊に参加。陸上自衛隊がインフラ整備を担っている。安倍政権はいま、南スーダンに新たな自衛隊部隊を派遣しようとしている。詳しくは後述するが、今度の任務の目的は、インフラ整備とはほど遠いものだ。
「皮肉なことに、いま南部スーダンで起きていることは、かつてスーダンで起きたことをなぞっているかのようです」と栗田さんは話す。1956年、スーダンはそれまでのイギリスによる植民地支配から独立した。「しかし、植民地時代に形成された経済構造の歪みや強権的統治機構は温存され、権力や富の配分をめぐる矛盾が強まりました。権力中心である北部と、その他の諸地域、特に南部との開発格差は深刻で、それが内戦につながったのです」。南北内戦は民族や宗教の違い(アラブ対非アラブ、イスラーム対それ以外)によるものであるかのように説明されることが多いが、その根本は権力や富の分配をめぐる不公正だった。
イギリスの植民地支配からは独立したが、独立後の国家内で開発格差や暴力的弾圧が激化。最終的に南部スーダンはスーダンからさらに分離して「国家」を作ることを選んだのだ。

Photo by Dominic NAHR

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南スーダンの政権は北部政府に対する武装闘争を行ってきた「スーダン人民解放軍(SPLA)」が担うことになった。だが独立後まもなく、SPLA政権内部での権力と富をめぐる闘争が始まったという。「サルバ・キール大統領が権力集中を図ったことに反発や批判が高まり、特にリエク・マシャール副大統領との対立が激化しました」。2013年末、ついに大統領派と副大統領派の間で武力衝突が発生した。首都ジュバは内戦状態に陥り、250万人を巻き込む事態になった。副大統領派は首都を追われた。独立国家は、わずか数年で破綻してしまった。
キール大統領は南スーダン最大のエスニック集団の「ディンカ」出身で、マシャール副大統領は「ヌエル」出身。両者が支持者を動員しようとする過程でそれぞれの出身集団を利用したことから、政治闘争は急速に「部族戦争」化の様相も呈し始めた。
内戦は国中に広まっていった。ナール氏は言う。「南スーダンは暴力と飢餓、伝染病に覆われていました。内戦が勃発してから5万人を超える人々が殺され、何十万人が難民になりました。かつて活気があった町は、焼かれた家と兵士のための防空壕だらけの荒れ地になり、襲撃から逃げるため、人々は国連のキャンプや避難所まで、命がけで歩き続けなければならなかったのです」。それでも武力闘争が彼らの側から離れていくことはなかった。
そんな中、ようやく希望が訪れたのは昨年8月のこと。周辺アフリカ諸国が仲介役になり、和平協定が結ばれたのだ。停戦や移行期のポスト配分、暫定政権樹立、首都の非軍事化等が定められた。
しかし、希望はまた消えていった。今年7月、ジュバで再び戦闘が起きたのだ。激しい銃撃戦で住民を含む270人以上が死亡し、現地でのPKO活動に参加していた中国の歩兵部隊員2人も命を落とした。国連の報告書によると、政府軍は国連のホテルも襲撃、国連スタッフらが略奪などの被害に遭ったという。
10月8日、稲田朋美防衛相はジュバを訪れ、7時間の滞在の後、「状況は落ち着いている」と報告した。激戦からわずか2か月半後のことだ。
PKO(国連平和維持活動):国連平和維持軍(PKF)、国連軍事監視団、国 連文民警察、非軍事部門である民政部門の4つの組織からなる。


2012年7月。Photo by Paula BRONSTEIN/GettyImages
仕組まれた戦闘
崩壊した「和平協定」
「この戦闘は決して偶発的に起きたものではなく、キール大統領が昨年8月の和平協定を葬り去ることを目的に起こした戦争と言えます」。7月のこの大規模な戦闘について栗田さんはこう指摘する。
8月に成立した和平協定では、「暫定国民統一政府」を樹立し、大統領派(南スーダン政府=SPLA)、副大統領派(「武装野党」=SPLA−IO)、以前罷免された「元政治犯」「その他の政党」の四者が参加して、それぞれが決められた割合で権力を分担することが定められた。「各派の閣僚数も決められ、どの派も単独では物事が決定できない仕組みができたのです」(栗田さん)。これは当然、権力を独占しようとする大統領側にとってはおもしろくないものだった。
7月以前にも、大統領派はたびたび地方で副大統領派を挑発し、武力衝突を再燃させようとしていたという。そしてついに7月、暫定政府参加のために首都入りした副大統領派を挑発し、戦闘状態を引き起こすことに成功した。激戦の末、キール大統領はマシャール副大統領を再びジュバから追放した。それによって、和平協定は、大統領の思惑通り、事実上崩壊した。
それにも関わらず、安倍首相は10月、参院予算委員会の場で7月の戦闘について「勢力と勢力がぶつかった衝突であり、戦闘ではなかった」と言ってのけた。ジュバでは、南スーダン独立後に派遣された自衛隊が今も活動を続けており、次期派遣部隊が任務にあたるのも同地だ。安倍政権からすれば、ここを「紛争地」と認めるわけにはいかないのだろう。なぜなら、日本では、PKO参加の5原則によって、自衛隊の派遣は本来、「停戦合意が保たれていること」が最低条件になっているからだ。

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※南スーダンの飢餓
国連によると、現在南スーダンでは人口の40パーセント以上の約480万人の人々が、食べ物の支援を緊急に必要としているという。2013年末からの内戦がそれに拍車をかけ、260万人が住んでいた場所を追われた。彼らは魚や野生の植物などで命をつないでいたが、その残り少ない食べ物も底をつきようとしている。家畜強盗も頻繁に起こっている。現在も子どもたちや妊婦を含む多くが、ひどい栄養失調で危機的にある。食べ物や避難場所、衛生設備など、生きるための最も基本的なサービスを受けられていない人の数は人口の3分の1以上にのぼるという。
文/アルベルト・ゴンサレス・ファラン
(南スーダンで取材を続けるフォトジャーナリスト)
②戦えるPKO軍の中で、日本は何をするのか
南スーダンへの派兵が
自衛隊の実戦デビューになる
UNMISSに第11次隊として派遣される部隊は、青森県の陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊などからなる約350人の混成部隊だと言われている。
元陸上自衛隊レンジャー隊員の井筒高雄さんは、「これまでの派遣と次の派遣では、意味合いがまったく異なる」と話す。
1992年にPKO協力法が成立し、自衛隊がはじめてカンボジアでの活動に参加してから現在派遣されている南スーダンまで、自衛隊は、国連平和維持軍の後方部隊である工兵部門に所属し、武器を使わない任務にあたってきた。現地で活動する隊員もそれらを専門に担う施設部隊の隊員たちだ。しかし、次の派遣では普通科連隊という専門部隊が任務にあたる。
「普通科連隊というのは、戦闘の最前線で戦闘行動をする部隊です。つまり今後は、人道復興支援に比重を置くのではなく、新任務である『駆け付け警護』や『宿営地の共同防護』を確実に遂行することが目的になっている。宿営地の共同防護というのはまさに戦闘任務ですから、そういう任務に対応できる人たちが派兵されるという点で、これまでの施設部隊の派遣とまったく異なります」
おさらいになるが、昨年安保関連法が採決され、日本は集団的自衛権の行使が可能になり、条件はあるものの米軍や他国軍を世界中で「支援」することが可能になった。PKO活動の任務や武器使用の範囲も拡大され、「駆け付け警護」では、自衛隊と離れた場所にいる国連職員や他国軍、NGO職員などの命が脅かされた時に「駆け付け」て、武器を使用することができる。
「武力による行動は日本が攻撃を受けた場合に限る」という歯止めはこの法によって実質的に外された。
「重要なことは、1992年にPKO法が強行可決されて日本がはじめて活動に参加した時と今では、PKO自体の任務が大きく変わっているということです」と井筒さんは指摘する。「今のPKOは、住民保護のためなら中立性を捨て、相手が政府軍であっても先制攻撃を認めています。交戦主体(戦争の主体となる集団)となって戦える。それが国連安保理のスタンダードです」
どういうことか。PKOとは本来、停戦合意がある現場に入り、中立な立場で活動するものではなかったか。
「確かに、かつては停戦合意が破られれば現場から撤退していました」と井筒さんは言う。転機となったのは94年。ルワンダ大虐殺が起き、部族抗争の末、約80
万人が殺戮された。PKOは撤退し、住民を守ることはできなかった。それは国際社会からひどく批判され、それ以降、PKOの任務では「住民保護」が最優先となる原型が国連安保理決議で決められた。停戦合意が破られようが、撤退の必要もなくなった。PKOの枠組み自体が大きく変わったのだ。それを裏付けるように、2010年には、コンゴ民主共和国(旧ザイール)PKOで「特殊部隊」の投入が承認された。ちなみに、井筒さんによると「特殊部隊」は、南スーダンでは「地域防護部隊」と名称変更をして引き継がれているという。
このようなPKOの「リスク型」への方向転換は、PKOに参加する国々にも変化をもたらしはじめた。「現在のPKOには先進国の姿はない」と井筒さんは話す。「部隊のリスクが飛躍的に高まったことで、参加国は、先進国主導から、発展途上国中心へと流れが変わりました。日本はそれでも、自衛隊派遣にこだわっています」


16日Photo by AFP/JijiPress Photo
破綻しているPKO「5原則」
思い返してほしい。日本には「PKO5原則」があり、自衛隊も当然、これに則って派遣される(ている)ことになっている。5原則とは日本がPKOに参加する際のルールで、①紛争当事者間の停戦合意が成立していること ②紛争当事者がPKOの活動と自衛隊の参加に同意していること ③中立的立場が厳守されること ④上記3つのいずれかが満たされなければ撤退すること ⑤武器使用は防護のために必要最小限にかぎられることとある。
PKOそのものの変化からも分かるように、5原則がPKOの活動現場ですでに意味をなさないことは明白だ。にもかかわらず、安倍政権は、自衛隊のPKO活動の任務拡大について「5原則を満たした上だ」と繰り返し発言してきた。
7月の衝突では、国連の施設に逃げ込もうとする難民に対して、政府軍や警察までが発砲する事態も起きた。事態の深刻さに、国連安保理は8月12日、アフリカ各国軍で構成する4000人規模のPKO部隊「地域防護部隊」を追加派遣することを決めた(「国連安保理決議230
4」)。PKOの中立性はもはや保たれない。
この決定に対し、キール大統領は「内政干渉だ」と反発。受け入れを拒んだが、結局、安保理は南スーダン政府に圧力をかける形で受け入れを承認させた。
状況は依然として厳しい。10月8日には、ジュバに続く幹線道路で市民を乗せたトラック4台が武装グループに襲撃され、同17日にも北東部で政府軍と反政府勢力の間で激しい戦闘が発生している。同31日には「南スーダン民主戦線」を名乗る新たな反政府組織がキール政権打倒を宣言し、泥沼化している。内戦状態であり、自衛隊派遣には無理がある。
そもそも、日本は平和憲法のもとに軍隊を放棄している国だ。軍隊を持ち、国益を守るためには戦争をするような国の兵士が「時には国連が主導する中立的な活動にも参加しよう」とPKO活動をするのと、戦争を放棄している日本が、自衛隊を次第に事実上の軍隊にして海外に派遣し、法を変えてまで交戦主体となりうる活動に参加するのとでは、意味合いが全く異なる。前者はむしろプラスの意味合いかもしれないが、日本の場合にはマイナスだ。

Photo by Xinhua/Zeng Tao/JIJI Press Photo

Photo by AFP/JIJI Press Photo
南スーダン派遣の本当の理由
「今度の南スーダンへの派遣命令は、安倍政権にとって、憲法9条を改正するトビラを開くためのものだと思います」と井筒さんは指摘する。
交戦権を許していない日本の自衛隊が、交戦を辞さない部隊に参加し、隊員が死傷した時には何が起こるのか。「『自衛隊の不慮の死』という『作られた死』のもとに、政府は交戦権を認めていない9条2項を変えるための法律の「不備」を明らかにしながら、ひとつひとつ変えていくのでしょう」(井筒さん)。不備とはつまり、改憲するために安倍政権に「不都合」な法律のことだ。
「例えば、軍隊でない自衛隊は、現地の勢力よりもずっと『しょぼい』小銃しか持っていけません。軽装甲車も小銃の弾が貫通してしまうようなものです。隊員が負傷すれば当然、世論は『負傷する可能性があるのになぜそんな軽装備なのか』という流れになる。それだけではなく、自衛隊が先制攻撃できずに死傷すれば、9条との矛盾も浮き彫りになる。政府はすぐに『9条があるからだ、5原則があるからだ』という議論をはじめますよ。そして『もう5原則はとっぱらって、日本のPKO部隊も住民保護のためなら攻撃主体になって攻撃してよいことにしよう』と」
井筒さんはさらに、安倍政権が見越す自衛隊派遣は米軍がはじめた「対テロ戦争」の爪痕が残り、紛争が続くイラクだと指摘する。
「イラクに行く前にはアフガンに行くことになるでしょうから、アフガンに行くためには南スーダンで実戦デビューしてもらう必要がある」。9・11後に「対テロ戦争」としてアフガンに入った米軍は、アフガンからいまだ撤退できていない。居続ければそれだけ膨大なお金がかかってしまう。「だからアメリカは米軍を撤退させる代わりに自衛隊を入れたいのです」
もうひとつ、「アメリカのアフリカ戦略の『コマ』になる自衛隊」という構図も忘れてはいけない。栗田さんによると、それまでスーダンの周辺諸国がおこなってきたスーダン内戦に対する和平プロセスに、2002年頃からスーダン問題への関与を強め始めた。本来、スーダンの危機にはバシール政権の独裁「対」全国民という側面もあり、民主化も重要な課題だったが、「アメリカは、『民主化は無理そうだから、南北が分離した方が早い』と言って、南北問題にすり替える方向で介入を強めた」。これが南スーダンの分離独立の一因にもなった。
狙いは、南スーダンの石油資源もあるが、それ以上にスーダン/南スーダンの地政学的な重要性だった。アフリカ北東部の「アフリカの角」は、東アフリカの要であると同時に、紅海・インド洋・ペルシャ湾という石油輸送ルートを臨む、中東戦略上もアフリカ戦略上も重要な場所だが、スーダン/南スーダンはこの角の根元にあたる。また、アフリカ内陸諸国に進出する際の重要なルートでもある。
イラクに軍事介入した結果、中東が大混乱し、中東からの石油の供給が不安定化する可能性に直面していたアメリカは、07年、「アメリカ・アフリカ軍(AF
RICOM)」を立ち上げ、アフリカ戦略に本腰を入れ始めた。
日本は09年、「海賊対処法」を作り、東アフリカのソマリア沖に自衛隊艦船を派遣すると共に、ジブチに自衛隊の基地を作った。今、海賊は下火になったが、にもかかわらずジブチの基地は撤収されることもない。それどころか日本政府は「ジブチの基地は南スーダンPKOの自衛隊の活動支援にも使っている」と公言し、さらにアフリカ・中東での活動拠点として基地拡充の方針も示してしる。「目的外使用ですね。それは何を意味するかというと、アメリカのアフリカ戦略への協力が狙いなのだと思います」(栗田さん)。だからこそ、日本は南スーダンの情勢が変わろうと、PKOを撤退させてきていない。

Photo by AP Photo/UNMISS
武器を売りさばく
情勢が不安定なアフリカ地域や中東地域は、武器を売りさばくためにはとてもいい市場だということも、今回の南スーダン派遣にからむ話だと思います」と井筒さんは言う。
安倍政権はおととし4月、「武器輸出3原則」を事実上撤廃。「防衛装備移転3原則」のもと武器の輸出を原則解禁した。水陸両用飛行艇を数億円でインドに売るための交渉が進められたり、オーストラリアでの次期潜水艦の共同開発に立候補したり、イスラエルと偵察機の共同開発もめざしている。
「とはいえ、海外に売るためには国内の訓練だけだと信用がいまいち。実戦でメイドインジャパンの武器を使い、相手を倒すということをしてはじめて、〝戦場でもメイドインジャパンはすばらしい〟という評価が得られます。そういう意味でも、日本は自衛隊に武器使用の任務を与える必要があるんです」
武器が売れることで儲かるのは、三菱重工業や日立製作所といった軍需産業の大手企業。その波及効果は下請け、孫請け、ひ孫請けまでに及ぶ。日本の経済に、少しずつ、確実に「軍需産業」が根を張りはじめることになる。
戦闘になる可能性は
とはいえ、実際には自衛隊に国連軍の司令官が「駆けつけ警護」を司令する確率は少ないと井筒さんはみている。「実戦もしたことのないルーキーに、他国軍を助けに行けという命令はできない。戦闘状態になる可能性として一番ありえるのは、現地の宿営地の共同防護です」。PKOのベースキャンプや宿営地に避難民が助けを求めて駆け込んで来るような状況で、彼らを政府軍などが攻撃してきた時に、交戦したり応戦したりという事態は十分にありえるという。
「戦争をするときにはまず、補給路や空港、港、弾薬庫など、作戦の要になるところをやっつけるのが基本です。市街地が危なくて宿営地は後方だから危なくないという理屈はまったくない。むしろ、宿営地とかをいかにたたいて、最前線にいる部隊を孤立させ、食料や武器弾薬の供給を絶って敵を倒すかというのが、いまのテロリストのやり方なのです」
アフガンでもイラクでも、米軍の兵士より、「後方支援」にあたる「輸送」などを担う多国籍軍の兵士のほうが多く死んでいるというが、今後米軍の「後方支援」を担う事になるのは、まぎれもない自衛隊だ。
「守られない」自衛隊
井筒さんによると、自衛隊の活動ではそもそも海外での「戦傷者」「戦死者」が想定されていないという。交戦権が認められておらず、武器使用も「自国が攻撃された時のみ」と限定されている日本では、その必要がなかったからだ。「実際、南スーダンに派遣される部隊でも、隊員が負傷したときの処置ができる仕組みもノウハウもほとんどありません」
今の自衛隊は、衛生兵すら鎮痛剤を投与することもできないのだという。
「例えば銃弾があたると、2分以内に適切な処置をしないと失血死するといわれ、野戦病院に運ぶまでに9割が死ぬともいわれています。だからこそ現場での対処が求められ、米軍などは現場の衛生兵がその場で負傷者の簡単な処置をした上で、野戦病院に連れて行き、そこからベースキャンプに運びます。しかし日本は、野戦病院に運べたとしてもそこにいる衛生兵は止血程度しかできない。自衛隊に持たされる救命キットには、包帯と止血帯、はさみ、手袋などしか入っていません」
海外の戦闘を見越した対策がもっとあってしかるべきだと思うかもしれない。しかし、政府はあくまでも「5原則」の下、「停戦合意」が成立した現場のみに自衛隊を派遣することになっている以上、戦時を想定した医療体勢の確立がなぜ必要なのか、その説明がつけられない。同じ理由から、現場で自衛隊員が命を失うリスクにどう手をうつか、自衛隊が住民を誤って撃ってしまった時にはどうするかという議論も進んでいないという。


日本らしい支援の仕方は
PKOには非軍事部門である民政部門、国連文民警察もある。「そういう部門での日本らしい国際貢献をより議論してもいいはずなのにそれはなされず、なぜか歴代政権はPKFにこだわり続けてきた」と井筒さんは言う。
冒頭のナール氏の最新の報告によれば、南スーダンでは安全が確保できないため、依然食糧不足が深刻な状況だという。「人々は農地に出る機会も限られていて、400万人以上の人が極度の飢餓状態に陥っています。緊急に食糧を必要としているのに、医療品や食糧やあらゆる物資の配給が十分に届いていない地域も多い。食糧供給があっても略奪されたり、人々は常に武装勢力や政府軍に狙われていて、殺されることもある」という。
紛争の根本は貧困だと井筒さんは言い切る。「南スーダンで石油以外で経済活動ができるものを探し、品物を輸入するようにするとか、外務省が仲介役をしながら企業の参入で雇用を作るとかもできるでしょう。日本は無宗教に近い国ですから、部族間の宗教対立にも、日本というブランドできちんと対処できる方法があるんじゃないのとかと思います。そもそも、テロリストにお金が渡る可能性がある紛争地域からは石油を買わなくするという気概があってもいい。日本らしい介入の仕方や対応を、自衛隊以外の選択肢としても考えるべきだと思います」
※
南スーダンでの武器使用をきっかけに9条が改悪されたら、社会の中で軍事・戦争が占める割合は確実に大きくなるだろう。「国家予算のなかで防衛費が占める割合が大きくなり、医療や福祉などの予算は削られ、大学でも軍事の研究をさせられるようになる。そうやって社会全体が軍事化し、軍事産業に国民全体が奉仕させられるサイクルに入っていきます」と栗田さんは言う。
今は天下分け目。日本社会のあり方が大きく変わってしまうかもしれない岐路に、私たちは立っているのだ。

Photo by Asahi SHIMBUN
くりた・よしこ 1960年生まれ。千葉大学文学部教授。専門は中東現代史。著書に『近代スーダンにおける体制変動と民族形成』、共編著に『中東と日本の針路』(いずれも大月書店)、論文に「南スーダンへの自衛隊派遣問題をめぐって」(『憲法運動』2012年1月号)などがある。1985年以来、数次にわたってスーダンに長期滞在・調査をおこなったほか、2010年にはスーダン大統領選・総選挙に際して外務省が派遣した選挙監視団に参加した。 いづつ・たかお 1969年、東京生まれ。高校は陸上部(長距離)の主将。卒業後、円谷幸吉氏にあこがれて自衛隊体育学校をめざし、1988年陸上自衛隊第31普通科連隊に入隊。自衛隊体育学校集合教育へ。1991年レンジャー隊員となる。1992年PK O法が成立。1993年、海外派兵の任務遂行は容認できないと3等陸曹で依願退職。大阪経済法科大学卒業後、2002年から兵庫県加古川市議を2期つとめる。 ドミニク・ナール フォトジャーナリスト。1983年スイス生まれ、香港育ち。2008年からフリーランスとしてナショナルジオグラフィック誌やGQなどで作品を発表。2 010年からマグナム・フォトに所属。世界報道写真コンテストやPOYi、第6回DAYS大賞3位、第9回DAYS大賞審査員特別賞など受賞多数。