
新婚の妻に、ある日突然下された乳がんの告知。2010年4月、がんは彼女の肝臓と骨にまで転移していた。写真家である夫は、張り裂けそうな想いを胸に秘め、その闘病生活を撮影し続けた。
写真・文/アンジェロ・メレンディーノ

運命の人との出会い

ジェニファーと出会った瞬間、「彼女だ」と、直観的に感じた。
2006年、オハイオ州クリーブランドで僕らが出会って1か月後、ジェニファーはマンハッタンに仕事を見つけ、ニューヨークに移り住んだ。
その冬、ニューヨークに彼女を訪ねた時、僕は彼女に自分の気持ちを伝えた。最大限の勇気を振りしぼり、彼女に夢中になってしまったと告白したのだ。すると、とたんに彼女の目がパッと輝き、こう言ったのだ。「私も同じふうに感じていたわ」。それから、僕たちは遠距離恋愛をスタートした。

6か月を経て、僕もようやくニューヨークに引っ越した。その日の夜、僕たちはお気に入りのイタリアン・レストランでお祝いした。そして夕食後、僕はジェニファーにひざまずき、プロポーズしたのだ。その秋、僕たちはセントラル・パークで晴れて結婚式を挙げた。式の最中、ジェニファーがバージンロードを僕の方に向かって歩いて来る姿を見て、僕は涙をこらえることができなかった。この時ほど幸せだと感じたことはない。「人生はパーフェクトだ」。そう思っていた。

繰り返された非情な宣告
結婚から5か月経ったその日、ジェニファーは乳がんが見つかったと僕に告げた。電話口から聞こえてきたその声を、僕は一生忘れない。僕は固まってしまった。そしていまだに、その金縛り状態が続いている。
何の前触れもなく、僕らは「がん」の世界に放り込まれた。道標もルールも同情も何もないなかで、日常の変化を受け入れていくしかなくなった。しかし、僕らの生活が複雑化するのとは逆に、目標はシンプルになっていった。「生き延びる」ということのみだ。それ以外、他に必要なものなどなかった。

結婚1周年を迎えた直後、主治医はジェニファーのがんが消えたと言った。僕らは前と同じような生活を取り戻そうと努めた。そのときは、人生や価値観がすっかり変わってしまったため、何事も楽観的に見られなくなっていた。ただ、どんな困難にも2人で立ち向かううちに、僕らの愛は強まった。
2010年4月、僕らがもっとも恐れていたことが現実となった。検査の結果、ジェニファーのがんが再発し、すでに肝臓と骨にまで転移していた。すぐに治療を受けることになった。
数か月後、僕らは家族も友人も誰ひとりとして彼女の病気の深刻さを理解していないことに気づいた。僕らを支援する人たちがいなくなってしまったのだ。僕らは診察の予約や治療に明け暮れ、彼女は投薬やその副作用に苦しむ生活となった。

周囲の理解を求めて
僕らは誰にも答えを求められなかった。ただ、そこにいてくれる家族と友人たちが必要だった。「愛してるよ」と一言メールで送ってくれたり、僕らが一日中病院で過ごした後、夕食に連れ出してくれたりするだけで、ものすごく救われただろう。
僕らが助けを必要としていることを知ってもらうため、言葉で伝えようとしたけれど、ことごとく失敗した。そこで、唯一僕に残された別の手段が、カメラを使うことだった。そうして、僕らの日々の生活を写真に収めはじめたのだ。僕らの望みは、家族や友人たちに、毎日どんなふうに病気と向き合っているのかを知ってもらい、この人生における試練を少しでも理解してもらえたらということだった。

ある日、友人のひとりが僕の撮った写真をインターネット上に公開してみてはどうかと提案した。ジェニファーの許しを得て、僕は何枚かの写真を投稿した。すると、その反響は驚くべきものだった。世界中からEメールが僕たちのもとに届くようになった。そのなかには、乳がんを患っている女性からのEメールもあった。彼女たちは、ジェニファーの勇気に励まされたと言ってくれた。またある女性はジェニファーの写真を見て、今まで怖がっていたけれど、マンモグラフィー検査(乳がん早期発見のために乳房をX線撮影する方法)を受ける決意をし、予約を入れたと報告してくれた。僕たちのストーリーが、他の人たちを助けることができると知ったのは、そのときだった。
そして何よりも大きかったのは、家族や友人たちが、僕らの側に集まり出してくれたことだ。

2011年12月22日午後8時30分、僕の愛するジェニファーは息を引き取った。40歳の誕生日を迎えて16日後のことだった。
ジェニファーと僕は寝る前に、その日起きた最高と最悪の出来事を、それぞれ報告し合うのが日課だった。「側を歩く君が僕の髪をスッと撫でてくれたことだよ」とか、「病院であなたが私の手を握ってくれたこと」なんていうのがよくあるやりとりだった。

でも、ジェニファーの肝臓に機能障害が見つかった翌日は違った。自宅に戻った僕らは、家族と友人たちと夕方をともに過ごした。その夜、二人きりになった僕らは、横になりいつまでも話し続けた。最後に、その日の最高の出来事を尋ねると、ジェニファーはしばらく考えて、今まで見たことのない深い目で僕のことを見つめて言った。「すべてが愛おしく思えたわ」と。
(翻訳/ノディ・イシドロ)
アンジェロ・メレンディーノ 写真家。ジェニファーの看護をきっかけに、がん患者を支援する基金「The Love You Share」を設立。
