
都知事選が終わりました。私はこの選挙中ずっと、3月に取材でお話を伺った、ドイツ連邦放射線防護庁のお役人の言葉を思い出していました。
ドイツの政策は福島の事故後、脱原発に舵を切りました。廃炉計画が進んでいくと膨大に出る放射性廃棄物はどう処理するのかを知りたかった私は、ドイツのASSE(アッセ放射性廃棄物貯蔵庫)という処分場の情報センターに行き、放射線防護庁の方にお話を伺ったのです。
文/おしどりマコ、針金アート・写真/おしどりケン
原子力の問題も民主主義も話し合って答えを探そう
ASSEは、1909~64年まで岩塩を掘っていた鉱山で、そこに67~78年、中低レベル放射性廃棄物が運びこまれ、79年からは高レベル廃棄物の処分研究がおこなわれていました。当時の「科学的知見」では、岩塩層は地層が安定していて水が入り込みにくいから放射性廃棄物の最終処分にピッタリと言われていて、57年には米国科学アカデミーが岩塩層に処分場をつくるよう勧告したほど。それでASSEは世界初の最終処分場になるはずだったんだけど、20年もしないうちに、安定しているはずの岩塩の壁や天井に無数の亀裂が走り、地下水が流入。今では毎日1万2000リットルの地下水が流入しているそうです ……。
当時の処分方法は雑で、放射性廃棄物の入ったドラム缶を適当に放り込んで、いっぱいになったらコンクリで固める、というやり方をしていたので、放射性物質は溶け出し、付近の地下水からプルトニウムが検出されているとのこと!
処分場は94年に閉鎖され、今は岩塩層の壁に入ったひび割れを埋めようと、コンクリを流し込んだり、汚染水をポンプでより深い地下へ送り出したりする応急処置をずっと続けているだけ。付近の住民の方々はそこに処分場があることも知らされておらず、ある日、地下水に放射性物質が含まれていることを知らされたとのこと。ドイツの脱原発は、このASSEの失敗も一因となっているそうです。しかしこの問題の解決方法は、全く見つかっていません。
そこで私が「今後、ASSEはどうなっていくんですか? 放射線防護庁として道筋はあるんですか?」と質問すると、放射線防護庁のお役人はこう答えました。「あなたは民主主義というものを知っていますか?」
はい? 耳を疑いました。原子力のことを聞いているのに民主主義の話?「民主主義的選挙を多くの国が採用していますが、これは完全なシステムではありません。ドイツでは、民主的な選挙で、ナチスのヒトラーを生み出してしまいました。愚かな民は愚かな代表を選ぶ。それが民主主義の選挙です。ナチスを生み出したことをドイツ国民はとても反省しています。主権が国民にあるということは、国民が愚かだと失敗する可能性もあるのです。
原子力の問題も同じ。政治家、研究者、誰か賢い人に任せておいたらいいということではなく、市民がそれぞれ知識を得て思考し、判断して意見を持ち、全員で何がベターか話し合うことが大事です。そうやって答えを探さねばならなりません。なぜなら、原子力の問題に、はじめから正しい答えはないからです」

日本の民主主義はどこに?
「愚かな民は愚かな代表を選ぶ」
私が都知事選の間、何度も思い出したのはこの言葉です。野党共闘の候補者選びで、いつ鳥越俊太郎さんに決まったか。なぜ前回の都知事選で得票数2位だった宇都宮けんじさんが出馬を辞めたか。なぜ政策をきっちり用意していた古賀茂明さんや宇都宮さんが降りて、出馬会見で「政策はないです、これからです!」とおっしゃった鳥越さんが「勝てる著名人候補」として選ばれたのか。
そして鳥越さんを支持する人たちは「反安倍のためにみんな従え」と言う。おかしいよね。これは私の考える民主主義じゃないな、野党どころか日本の民主主義が倒れちゃうよ、とガッカリしました。そしてそのこと言ったり書いたりすると、「野党共闘の足を引っ張るな!」「反安倍じゃないのか!」とあちこちからバッシングを受けました。「何がなんでも勝たないといけないんだから黙っておけ」、これは本当の民主主義ではないよなぁ。
さらに、このことを某新聞の連載に書いたら、「うちは野党共闘を応援しているので、この原稿は載せられない」と言われちゃいました……。最終的に編集部から返ってきた原稿には、これを入れたら掲載すると、「それでも私は野党共闘に希望をもっています」というような文章が付け加えられていました。私の意見と真逆だよ! 私の言論の自由が略奪されたんだなと思い、編集部の意向の入った原稿を私が書いたことにはできない、連載を終了させてほしいと言いました。そしたら、連載はまさかの1回で終了!
「憲法改悪に反対するためには今、悠長なことは言ってられない」「何が何でも勝たねばならない」と言いながら、自分たちで基本的人権や憲法を踏みにじっている現場を、今回たくさん見ました。
「愚かな民は愚かな代表を選ぶ」。私たちはまず、愚かな民を脱せねばなりません。そのために、自分で知って考えて、自分の責任で判断すること。そして、恐れずに意見を言うこと。また違う意見にも耳を傾け、納得はしなくても理解しようと努め、話し合うこと。友達、家族、職場、学校、日常生活の中で、それを積み重ねること。
同じ考えの人だけがいるところでしか話せないのであれば、社会は変わらないよね。おしどりが原発事故の取材を続けているのも同じ。誰が何と言おうと、最後の一人になっても「福島第一原発事故の対応は間違っている」とはっきり言わなくてはダメだし、そういう人間が増えなくては何も変わらない、と思うからです。私は、最後の一人になっても私の考える民主主義を守って貫こうと思います。