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| 編集長便り 2007年12月 |
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レバノンからカセム・アイナが来日した。NGO団体「子どもの家(ベイト)」の事務局長をしている。この「ベイト」は、1976年にレバノン内戦で親を失ったパレスチナ難民の子どもたちのためにパレスチナ解放機構(PLO)の婦人総同盟が設立した。しかしそのPLOは82年のレバノン戦争でベイルートを去る。カセムは、爆撃下のベイルートから施設の子どもたちを避難させるため、歩いて山越えをした。私がベイルートに入り、彼らの施設が爆撃で焼けているのを見たのはその1か月後だった。難民キャンプには累々たる死体が横たわっていた。この虐殺事件から1年半後、再びベイルートを訪れた私は、遺族を訪ねて取材した。案内してくれた女性は私が取材を終えた後、電気もない「事務所」に案内した。そして「あなたは死んだ人たちのことばかりに関心を寄せたけれど、なぜ生き残った人々のことを助けようとしないのか」と言った。彼女はカセムの指示で、たった一人で運動を再建しようとしていたのだった。私は帰国後「レバノン戦争と虐殺の写真展」を開催し、ことづかった24人の子どもたちの写真を展示し、「彼らが支援を求めている」と書いた。瞬く間に支援者は集まり、「パレスチナの子供の里親運動」が始まった。日本に続いてフランス、フィンランド、マレーシアなどが参加し、「ベイト」は「里親運動」の姉妹団体「パレスチナ子どものキャンペーン」の支援により、ナハルバレドのパレスチナ難民キャンプには、4階建ての立派な「子どもの家」が建設された。母親たちの職業訓練も開始される。しかし今年5月にレバノン政府軍による難民キャンプの過激派攻撃が始まった。カセムはぼろぼろに破壊された「子どもの家」の写真を手に、日本を訪れた。来年2008年は、パレスチナ難民が発生してから60年目の年になる。劇場上映版の私の記録映画「パレスチナ1948NAKBA」は11月末に完成する。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年11月 |
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長井健司さんの葬儀に出席した。参列する多くの在日ビルマの人の姿があった。彼は、弾圧され100人を超すといわれる犠牲者と同じ地平に立って取材し、同じ運命をたどった。「誰も行かない場所であればこそ、ジャーナリストはいかなければならない」と彼は言っていたという。そして彼の死は、ビルマの人々の闘いを日本の人々に伝える大きな働きをした。しかし彼の死を英雄視したり特化すると、彼の意思とは異なることになるだろう。ビルマの軍事政権を支える日本政府に圧力をかけ、苦しむ民衆の闘いを支援する動きを大きくしてこそ、彼を弔い、意思を受け継ぐことになると思う。参列したビルマの人が「彼は軍事政権が倒れたときには英雄とまつられるだろう」と発言したが、それは軍事政権の銃口の前に立ちはだかり死んでいった数え切れない人々が英雄であるのと同じ意味だと理解すべきだ。
伝えたいという住民の切実な意思と、伝えたいというジャーナリストの意思が重なるとき、大きな仕事がなされる。軍政府はジャーナリストを殺すことの意味の大きさと怖さを思い知るがいい。彼の死は近親の人々や友人の方々にはたとえようのない悲しみであるとは思うが、もし人間が死をまぬかれない存在であり、ジャーナリストとしての仕事を選んで、人々が殺されている場所に赴くのなら、彼はジャーナリストとしてうらやむ死に方をしたという言い方もできると思う。しかし若い人が彼のような死に方を求めたり、英雄視することを懸念する。若い人にはジャーナリストの目的は、生き延びて伝えることにあると言いたい。
ところで9月号で取り上げたアダルトビデオの犯罪のバッキー社元社長の法廷で20年の懲役刑の求刑が行われた。 |
| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年10月 |
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台風が関東地方を襲った。強風の中である人を思い出した。DAYS JAPANが講談社から出版されていた17−18年前、私はアイヌの伝統工法で桂の大木から丸木舟を作っている兄弟を根室で撮影したことがある。翌日湿原の撮影をした時に、弟のほうの成田ウタリアンが案内してくれた。彼は写真を趣味にしていたが、私の撮影を見て、いっそう写真にのめりこんだようだった。それから2か月後、私は彼の連れ合いの人から手紙を受け取った。台風が北海道を直撃した時、彼は港の撮影に行って、高波にさらわれたというのだ。
お葬式には行けなかったが、1年後、お花をあげたいと思い、遺族の消息を調べた。しかし、今に至るまで分かっていない。読者の人で知っている人がいたら、ぜひとも教えてほしい。
台風といえば、DAYS写真大賞2位とピュリッツァ賞を獲得したレネ・バイヤーが台風のさなか来日した。横浜フォトジャーナリズムフェスティバルでの講演、ワークショップなどをお願いしてある。先日久しぶりにカメラを持って撮影をしてみた。カメラが手になじまない。使い方もぴんと来ない。編集の机に座っている間に、体が瞬時に反応しなくなっている。現場にはもう出られないのではないかという不安が頭をもたげる。焦りが大きい。これを書いている3日後には「戦場で消えたフォトジャーナリストたち」について話をしなくてはならない。彼らが戦場に行った動機のいくつかの部分は、焦りだったのではないか、そんなことをふと思った。フェスティバルではボランティアが50人以上参加し、展示や物販やイベントに走り回っている。人々の出足も好調である。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年9月 |
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日本への核爆弾投下から62年。日本には非核宣言都市が多い。しかしこの場合「核」は核爆弾nuclear bombの核のみを意味し、原発nuclear
power stationは核とはみなされない。同じ核でも、ダブルスタンダードが生じている。先の柏崎原発の震災事故で、人々は未曾有(みぞう)の大惨事の寸前だったことを知った。日本もそろそろ本当の「非核宣言」をするべきだと思う。
選挙が終わった。「自民大敗、民主躍進」の文字がメディアに踊る。だがこれは保守政党が90%近くなってしまったともいえる。民主党が伸びたことだけで喜んでいると、とんでもないことになりそうだ。
ジャーナリストは選挙運動をしないほうがいいと自分に言い聞かせてきたが、投票日前日、とうとう川田龍平さんの応援演説をした。18歳から19歳にかけての彼は、受験と薬害エイズ被害者として、そしてカミングアウトを控えて苦しんでいた。私は毎日彼の家に通い、気配を消すようにして撮影し続けたが、彼が苦悩する姿を目の当たりにし、シャッターを切れないことも多かった。命の問題であれほど苦しみ、あれほど悔しい思いをした彼だからこそ信頼できることがある。特に「正義」の名のもとに殺戮(さつりく)が行われるこの時代に、多くの仕事を期待したい。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年8月 |
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1983年にレバノンに行ったときに、第一次レバノン戦争(82年)敗戦の責任追及問題に端を発して、パレスチナ陣営内で内戦が起こった。私が属していた「パレスチナの子供の里親運動」と「パレスチナ子どものキャンペーン」が支援していた現地のNGO「子どもの家」のブルジバラジネ難民キャンプのセンターが、対立する両者の施設奪い合いで銃痕(じゅうこん)だらけになったのを見たときの衝撃は大きい。
子どもたちの目の前で、そして多くの子どもたちを犠牲にして内戦は続き、現在戦場となっているナハルバレド難民キャンプを瓦礫(がれき)に変えて、シリアの後押しする勢力によってアラファトはレバノンを追放された。
対立はPLO(パレスチナ解放機構)の負の部分をかいまみせた。ベイルートのパレスチナ作家総同盟本部のエレベーターの扉は銃撃によって蜂の巣のようになっており、私は帰国後もエレベーターに乗るときは、しばらくの間は無意識に死角となる壁に体を貼り付けて乗るようになっていた。エレベーター内の人物をドア越しに攻撃したのはアラファトの警護隊だった。パレスチナ作家会議の議長がアラファトの部隊に逮捕され、死刑宣告を受けたときには、助命運動に参加したこともある。
私はこの後、パレスチナ側の政治組織との交渉を絶ち、支援の相手をNGOに限定した。
そして今度のガザの内紛。やりきれない思いだ。パレスチナの人々に共感し、支援してきた多くの人の心から大事なものが剥がれ落ちていく。一刻も早い和解を望みたい。 |
| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年7月 |
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ジャーナリストや思想家に「反日」というレッテルを貼る動きがある。レッテル貼りは、具体的な攻撃をしろという、アジテーションを誘導する。それはネットによる攻撃を呼びかけ、姿を現さない人間による攻撃は、やがて本物の暴力を導く。
私はJVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)に参加しているが、会員の海南友子さんの、中国における日本軍遺棄化学兵器についての作品が小学館『サピオ』誌で「反日」攻撃を受けた。彼女はブログの「炎上」を恐れ、ホームページを閉鎖せざるを得なかった。そのころ父親が倒れたこともあり、彼女は「反日」攻撃に対抗することで力をそがれるよりも、きちんとした仕事をし続けることで対抗すると決めた。
私も講談社の本「ユダヤ人陰謀説―日本の中の反ユダヤと親ユダヤ」の中で、小田実氏や板垣雄三氏とともに「反ユダヤ主義者」と指摘されたことがある。イスラエルの友人に聞くと、イスラエルの占領政策やシオニズムを批判する人を、ユダヤ人でも「反ユダヤ主義者」と呼ぶ動きがあるという。講談社に抗議したら「イスラエルを批判することは、反ユダヤ主義者を育てるということになる」という、著者の手紙が転送されてきた。この考え方は占領政策批判を封じ込める
この件の顛末(てんまつ)は自分のブログ(HIROPRESS.NET)で書くが、自衛隊の情報保全隊が「反自衛隊活動家」の調査をしていることが明らかになった。これもイラク派兵などを批判する人間にレッテル貼りして封じ込めるという、一連の教育基本法改変、愛国心高揚、改憲の動きの一環だ。問題はそれにたやすく動かされるメディアと国民のほうなのだが。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年6月 |
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4月にナクトウェイ率いるフォトエージェンシー「VII(セブン)」のセミナーに参加した。セミナーの報告は次号で掲載するが、あるエピソードを紹介したい。メンバーのゲイリー・ナイトがイラク取材の報告をした。彼がバグダッドに入ったとき、米軍に死者が出、彼はそれを撮影した。しかし写真は掲載されなかった。彼の写真は米軍の「正義の戦争」と「勝利」に水を差すからである。セミナーに参加していた『ニューズウィーク』誌の編集者は「あの写真こそイラク戦争の流れを変えたかもしれない大切な写真だった。掲載しなかったことが悔やまれる」と述べた。会場から質問が出た。「その写真はどこかに掲載されたのですか」。ナイトが答えた。「DAYS
JAPANだけです」
「DAYS写真大賞2位」の「母の旅―小児ガンの子とともに」がその後ピュリッツァ賞「特集写真」部門を受賞した。さらに「DAYS読者賞」を受賞した「海洋汚染」も「解説報道」部門でピュリッツァ賞を受賞した。一方ピュリッツァ賞「ニュース速報写真」部門の受賞作品は、DAYSにも応募があったが、予選で落ちた。それはユダヤ人入植者の女性がイスラエル警官隊を一人で食い止めている写真である。私たちはこの写真はまるでユダヤ人入植者を被害者のように見せ、占領地の入植者の状況を隠してしまうという理由で、最終選考からはずした。世界報道写真コンテストの大賞に選ばれた写真もDAYSに応募があったが、これも予選で消えた。レバノン戦争の実態が分かりにくくなると判断されたのである。ところで今月号の「慰安婦」特集は全国会議員に送るつもりである。皆さんの感想を待つ。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年5月 |
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地質学とパレスチナ難民問題をベースにした「破断層」という小説を講談社から出したことがあった。その後、新潮社から第2作目を依頼された。私は日本列島に住む人々の「漂泊と定着」をテーマとした小説の取材を始めた。山の民と海の民、そして原住民と定着化する人々との摩擦と対立がテーマだった。しかし取材を始めてすぐに湾岸戦争が起こり、激動の時代になり、ノンフィクションがフィクションを追い越す時代となった。私は報道に専念するようになり、小説はあきらめた。
アラブ諸国でも遊牧民と定着民との対立がある。遊牧民の移動する広大な大地に多くの国境線が引かれ、当初は遊牧民にいくつものパスポートが与えられるケースもあったが、やがて国境線に閉じ込められるようになった。イスラエルはベドウィン(遊牧民)を定着させる政策をとっている。多くの定着民は自分たちの遠い先祖が遊牧民であることを知っていた。遊牧民を見る目には畏敬のまなざしもこめられていた。しかしやがて国家は居住を定めない人々を敵視する。管理できないからである。特に人々を戦争へと向かわせる時代には管理が強化される。
現代はこの問題に経済が深く関わる。高度成長は仕事場を日々変える日雇い労働者にゆだねられた。やがて外国人労働者が進出した。経済の停滞とともに排斥の流れが加速する。3月29日、2088人の日雇い労働者や野宿者が住民登録を抹消された。選挙権も保険も奪われる。淀川の河川敷で野宿をしている人々のテントが燃やされ、多摩川河川敷で野宿男性が撲殺された。これらの背後には行政があり、それに追随する民衆がいる。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年4月 |
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DAYS JAPANが3周年を迎えた。その記念イベントには350人が集まった。
そこではDAYS国際フォトジャーナリズム大賞の受賞写真が映写され、会場の参加者が読者賞を決定した。
今年は私が中東取材を始めて40年目になる。20年前に私たちのNGOが主催した「パレスチナ人とユダヤ人の共存を求めるシンポジウム」は、最後にヒロシマ宣言を採択した。そこには次のような言葉があった。
「存在existenceが保障されていなければ、共存つまりcoexistenceは、成り立たない」。
爆弾の犠牲者、占領されている人は、existenceが踏みにじられている。そうした被害者の人々に共存や対話を呼びかけることは、傲慢だ。
まず加害者に爆撃をやめさせ、占領をやめさせ、その行為に対する謝罪の後、対話に入るべきなのだ。
「反テロ戦争」の現場は、もはやイラクやアフガニスタンやパレスチナにあるのではない。それはすでに日本の中にある。
ジャーナリズムの役割はこの3年でいよいよ重くなっている。
なぜなら「彼らは爆弾によって人々を殺しているが、私たちは沈黙によって人々を殺している」からだ。
DAYS JAPANは4年目に踏み出す。 |
| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年3月 |
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マレーシアで開催された「戦争犯罪についての国際会議」で私の写真の展示があり、参加した。主催者はマハティール前首相で、世界から学者やジャーナリストのほか3000人の市民が出席した。マハティール氏は「戦争は違法であり、犯罪だ。犯罪者は裁かれ、罰せられなければならない」と強調し、2月7日には「戦犯法廷」が発足した。氏は「これらの国で殺戮はビジネスになっている。多くの事を我々は知らされていないが、知らないでは済まされない。彼らは爆弾によって人々を殺し、我々は沈黙によって人々を殺しているからだ」と述べた。そして9・11事件の死者約3000人にふれ、一説に65万人という死者を出したイラクへの米介入の責任を激しく糾弾した。
またイラク関係者は非公式に、2月3日に起きたバグダッドの爆破テロについて「イラクの勢力にはあのような大規模爆発は起こせない」と話した。「合法的」に爆発物を移動できる者つまり米英軍よるものだというのだ。本誌は2004年9月号で「イラク『米軍自作自演』の爆弾テロ現場!?」(國森康弘)の報告を掲載しているが、05年9月19日の英軍による英国情報部員2人の奪還事件も記憶に新しい。2人は車両に大量の爆発物を積み現地の服装で移動中にイラク警察に発見され、銃撃戦の末逮捕された。その後英軍は警察署を襲撃し、2人を奪還した。2人はバスラの市場で爆弾テロを計画していたとアルジャジーラTVは伝えた。これはシーア派とスンナ派の対立をエスカレートさせるためであり、今回のバグダッドのテロも、直後に開始された米軍による大規模掃討作戦を容易にするためのものだと指摘する声が、多く聞かれた。 |
| 広河隆一 |
| 編集長便り 2007年2月 |
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「羽をもがれた蝶々はウジ虫だ」という言葉がある。布川徹郎監督の「bastard on the border」(1976年)の中で、ネイティブ・アメリカンの若者が、ウンデッド・ニー(注)における彼らの記念碑的な戦いに出かける時に、母親に言い置いていく言葉だ。「ぼくはウジ虫にはなりたくない」
昨年末から今年にかけて、この言葉を何度か反芻(はんすう)した。人間の命と権力が対峙する時にこそ真価を発揮するべきジャーナリスト。しかしメディアもジャーナリストも、加速度をつけて戦争の道を進む日本政府の後押しをしていった。教育基本法改定反対の連日のデモは、参院委員会での改定案通過まで、ニュース映像でも新聞紙面でも報道されることはなかった。現場の記者が取材した記事や映像に対して、メディアの上層部は、デモだけを流すのは一方的過ぎると突っぱねたという。改定に賛成の市民の動きも取材して持ってくるようにということだった。そんな動きはないのだから、取材できるわけはない。こうして連日数千人が詰め掛けた国会前でのデモも、報道されることはなかった。ジャーナリストは権力を監視する役目を放棄しただけでなく、見事に権力を後押し、改定案通過を助けたわけだ。
闘わないジャーナリストは、羽をもがれた蝶々だ。闘わないジャーナリストはジャーナリストではない。今蝶々になれないウジ虫がこの国をうごめきまわっている。 |
| 広河隆一 |
(注)1890年、ウンデッド・ニーでアメリカ軍により200人以上の先住民が虐殺された。1973年に先住民の運動団体がウンデッド・ニーを武装占拠、政府との戦闘で多くの死者が出た。以降、先住民の虐殺と抵抗の歴史を象徴する場所となっている。 |
| 編集長便り 2007年1月 |
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ここ4、5年の間に恐ろしい変貌を遂げている日本。このままずるずると新年を迎えるわけにはいかないと感じている人は多いと思う。DAYS JAPANが、時代のいやおうない流れに抗してどのような言葉と写真を発していくべきか、どのような方法で伝えていくべきか。忸怩(じくじ)たる思いを抱え、辺見庸さんの講演を聴きに行った。
そして講演の後、彼の言葉や、彼が紹介した言葉を反芻した。ヴァルター・ベンヤミンの言葉もその一つだった。「手段となった言葉などは雑草である」。命をもった言葉と主体的責任ということについて、辺見さんが引用した。「言葉」を「写真」に置き換え、ジャーナリズムの役割と責任について考える。
辺見さんは私たちをとり巻くまがい物の言葉について語る。たとえば「美しい国」。講演が終わった後、子どもたちの間でこれを逆から読むのがはやっていると教えられた。「うつくしいくに」の反対で「憎いし苦痛」。このあまりに凡庸な「贋造紙幣(辺見氏)」のような言葉は、言葉遊びの対象でしかないのか。
辺見氏は言う。「(美しい国という)この言葉に恐怖を感じてほしい。殺意を感じてほしい」。確かにこの言葉には血の匂いが漂う。危険な時代のまっただなかで、DAYS
JAPANはまもなく3周年を迎える。 |
| 広河隆一 |
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