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| 編集長便り 2006年12月 |
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イツハック・ラビン(当時の首相)が、1995年にユダヤ人過激派青年に暗殺されてから11年が経った。11月4日夜の追悼集会で10万人の参加者を前に、今年夏のレバノン戦争で息子を亡くした作家のデビッド・グロスマンは、イスラエルの危機の深さを訴えた。暗殺2年前の93年9月、ラビンとペレス(当時の外相)はパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とワシントンで「歴史的な和解」の握手をした。その日のテレビ番組で私は、「このようなまやかしの和平は必ず破綻する」と発言したことを覚えている。それは和平を歓迎する風潮に水をさす発言だった。しかしその2年後にラビンは暗殺された。和平を引き継いだペレスは政権維持に失敗し、右派リクードのもと、パレスチナ側は徹底した妥協を迫られる。彼らは和平が当初からパレスチナ独立など認めていなかったことを知る。この和平を徹底して批判していたのが在米パレスチナ人学者の故エドワード・サイードだ。今、彼の正しさが指摘されている。
ラビンの死で失ったものは計り知れない。しかしラビンが生きていたら現在の混乱が本当に避けられたのか、パレスチナ人の独立国家が誕生していたのか、それは疑いが残る。同時にサイードの徹底拒否の姿勢の先に別な未来が見えたのかも不明だ。この一週間だけでガザ地区では60人以上の人々が殺された。エルサレムにて。
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| 広河隆一 |
| 編集長便り 2006年9月 |
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9月号の話をする。この話が遅れて申し訳ない。なぜならもう9月号は店頭には無く、バックナンバーで求めるほか無いからだ。
9月号は私にとって大きな事件だった。「性的虐待―暴力と絶望からの脱出」という吉田タカコさんのルポに、私が写真を撮ったのだ。主人公の女性は子どものころから父親によって大変な性的虐待を受け、リストカットを繰り返しながら、自殺を図り、大怪我をし、そして・・・。この企画が決まったとき、私は当初は後姿のシルエット写真を掲載するつもりだった。しかし彼女自身に掲載する写真を決めてもらうために、吉田さんを通じて写真を送った。後で聞いたら、彼女は娘さんたちと話し合ったという。そして「お母さんは何も悪いことをしていないのだから、どうして顔を隠さなければならないの」という子どもの言葉で、顔が出た写真の掲載を決めたという。こうして性的暴力の被害者としてはおそらく日本では始めて、写真が見開きで掲載されることになった。
カミングアウトによって生きる勇気をもとうとしたとはいえ、彼女はその後も生死の境にあるつらい毎日を生きている。読者の人は、彼女に励ましの手紙を送っていただきたい。DAYS
JAPANの私あてに送っていただければ、必ず彼女の手に渡すことを約束する。
すさまじい彼女の被害を知った後でさえ、心の傷がこれほど深く刻まれるということが、男の私にとってきちんと把握できたということはできない。
男である恩恵を受ける歴史を生き、加害者の父親と同じ血を持って生きていることを、身にしみて感じている。 |
| 広河隆一 |
| 編集長便り 2006年8月 |
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DAYS JAPAN8月号をごらんいただけましたでしょうか。
特集は「メディアは戦争をどう伝えたか」です。これは昨年オランダの世界報道写真財団が50周年記念企画として、世界のメディアが掲載した重要な報道写真特集の中から、戦争報告を集めたものです。パリマッチ誌のハンガリー動乱報告からはじまりますが、道路に武装した市民が銃を構え、中央に女性がやはり銃を構えて立つ、という写真です。説明を読むとこの直後にハンガリーの首都ブダペストは旧ソ連軍によって鎮圧されたということです。
次の見開きはライフ誌のカルチィエ=ブレッソンによる新生中国報告です。彼がこのような取材をしていたとははじめて知りました。そしてベトナム、カンボジア、チェチェン(ナクトウェイ)、パレスチナ(これはDAYS
JAPANの報告です)が続きます。
ライフなど全盛期の雑誌の誌面は、見事に力があふれています。メディアが時代に役割を果たすということがどういうことをさすのか、わかります。同時にメディアとフォトジャーナリズムが、何を守ろうとして、何に敗れたのかも見て取れます。
ジャーナリズムに興味を持っている人だけでなく、エディトリアル・デザインに興味ある人にも、この特集は非常に役立つと思います。これは現在東京都写真美術館で展示をしていますから、あわせてご覧ください。
ところで今号は2つの女性に関するテーマを扱っています。ひとつは乳がん患者の報告、もうひとつは性暴力の犠牲者のレポートです。前者の写真を見て勇気付けられたという声も届きました。後者はアメリカとカナダの被害者女性16人の報告です。撮影者は自ら被害者である日本人女性、大藪のぶ子さんです。性被害者の人々の抱え込んだ苦しみの深さを改めて思い知るとともに、カミングアウトして問題を告発することに踏み切った人々の勇気に深い感動を覚えます。大藪さんによると、これらの女性は、顔を現すことによって、過去を乗り越えることができるようになったということです。私自身多くのことを教えられました。女性だけでなく、男性が見るべきページだと思っています。
ところで長野で女子中学生根橋清香(さやか)さん(13)が、土砂崩れで行方不明になりましたが、彼女は写真を撮るといって現場に出かけたそうです。父親が同行しましたが、彼女だけ土砂に巻き込まれました。
この事件は昔私が知り合った人の死を思い起こしました。ウタリアン成田という人で、彼は兄さんといっしょに昔のアイヌの丸木舟を、昔ながらの方法で製作し、私は現場を取材したときに知り合ったのです。彼は写真にも興味を持っており、どうしたらいい写真が撮れるかと私に聞きながら、撮影した写真を見せ、そして釧路湿原の撮影に同行し、私の傍らで写真をとり続けていました。それが彼の報道写真への関心にいっそうの火をつけたのかもしれません。
その2か月後、私は彼の家族から手紙を受け取りました。ウタリアンは北海道を台風が襲ったときに、防波堤で撮影して、そして波にさらわれたとのことでした。
危険と安全の判断は、経験者でもひんぱんに間違います。しかも状況は刻一刻と変わります。生き残れるのは、冷静な判断や豊富な経験というよりも(それも大事なことなのですが)、運がよかっただけじゃないかと思えることも多いのです。
しかし分かりきったようなこうした言葉をはくよりも、ウタリアンも女子中学生も、生きていてほしかった、と思います。 |
| 広河隆一 |
| 編集長便り 2006年7月 |
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DAYS JAPANの7月号はこれまでの号よりも売れ行きがいいようです。
皆さんのご支援もありますが、特集がより身近で、しかもほとんど知られていなかった話題だからです。ご本人も農業をやっている加藤登紀子さんからある日、すぐに来てほしいと言われて、話を聞いて、これは大変だと急遽、「今コメが危ないーー暴走する遺伝子組み換え」という特集を組みました。
その恐ろしい内容はもう読んでいただけましたか。「自殺遺伝子」まで組み込んで、タネの利益を独占しようというモンサント社と、それに習って、日本でコメの遺伝子組み換えに狂奔する政府。コメは今、巨額の関税をかけて、どうにか海外からの安いコメを排除していますが、こんなことができるのもここ2、3年だろうといわれています。その後はもう輸入米を防ぎきれない。その後の農業での利益を上げるためには遺伝子組み換えのコメを海外に売りつけて、特許料を上乗せするほかない、と農水省は考えました。しかもこの遺伝子組み換えコメは「ディフェンシン」という生命にかけがえの無い仕組みに恐ろしい手をつけてしまう、というのが特集の内容です。
どうか急いで書店に走って、お買い求めください。
でもこの問題は、なぜ日本のメディアではほとんど取り上げられないのでしょうか。最初は私もわからなかったのですが、あるとき大手出版社の週刊誌副編集長に聞いてなぞが解けました。彼によると世界の遺伝子組み換えタネを牛耳っている巨大企業モンサントは、徹底的な裁判闘争を仕掛けてくるそうです。裁判を維持するだけでも巨額が必要で、そのせいで太刀打ちできない企業はどんどんつぶされていくといいます。それでこの問題には手を触れないことにしているのだということです。
もうひとつの特集「生きるという旅――脳障害児との18年」は「夏帆」さんの誕生から今年18歳になるまで撮影を続けてこられたお母さんである河田真智子さんの作品です。
写真には輝くような愛情がほとばしっています。最初に彼女の写真を見たときから2年近くも働きかけて、ようやく特集に掲載させていただきました。
ぜひともご覧ください。 |
| 広河隆一 |
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